小説 川崎サイト

 

夢は畦道を駆け抜ける


 幾年月かが過ぎていたが、それに気付くようなものがないと分からないようだ。浦上は浪々の身のまま十年以上経つ。今ではそれが当たり前のことだとは思わないものの、日々、思うようなことではなくなっていた。慣れたのだろう。
 浪人であっても武士は武士、武家としての身分はあるが、浪人では何ともならない。それに最近は二本差しの侍を見ることも少なく、接することも殆どない。そのためか、丸腰、つまり刀を差していない。重いだけで役に立たないためだ。
 こういう浪人者が山里に棲み着いても、すぐに出ていくだろうと里の人達は思っていた。今は山裾で畑をつっくっている。田んぼは一人ではできないので、忙しいとき、手伝いに行く程度。村人として認められているわけではないが、もう村人達は違和感がないようだ。これも慣れだろう。大人しい浪人で礼儀もしっかりしており、そこはやはり武家、室町礼法を里人は知らないので、適当に返している。
 大人しいが武術も大人しいようで、つまり弱い。といって学問が得意なわけでもない。
 小さな藩だったが、取り潰されている。藩士は百人もいない。その半分ほどは他藩に仕官した。浦上は秀でたところがないし、名も知られていないので、仕官は無理。最初から諦め、浪人という職を選んだ。そんな職はない。ただの無宿者と変わらない。
 しかし生まれ故郷でもあるその藩内からは出なかった。城があり城下もあったのだが、流石に領主が変わったため、武家屋敷も明け渡すことになり、辺鄙なところに引っ越した。このあたりはまだ藩領だった頃の知り合いもおり、他藩へ流れるよりも、ここの方がまだましだった。ただの浪人ではなく、元藩士という肩書きは、まだ生きている。
 新しく入って来たのは旗本。藩領をもの凄く細かく分割し、複数の幕臣が領主となった。どの領地も代官しか置いていない。所謂旗本領。藩の取り潰しが盛んに行われた時期だ。
 ある日、その中の一人の代官が山里の浦上を訪ねた。
 この代官、ただの請負で、その旗本の家来ではない。
 いきなりの訪問なので、浦上は野良着のまま、腰には大小ではなく、鎌を差していた。
「浦上様ですね」
「そうです」
「初めてお目にかかります。代官の山城屋です」
 この代官、商人なのだ。
「何か御用ですか」
「仕官先を探しておられるでしょ」
「ああ、はい、一応は」
「じゃ、私のところに来ませんか」
「いや、代官所はもう一杯でしょ」
「いえ、私の店へ」
「はあ」
「聞けば勘定方におられたとか」
「あ、はい」
「用心棒ではなく、商いですか」
「いや、帳場だけでよいのです。家柄のしっかりとした信頼できる人が欲しいのです」
「それでわざわざ」
「はい、山城から近江や大和、伊勢方面まで広げようとしておりまして」
「しかし、あなた代官でしょ。ここの」
「それは庄屋に任せておけばいいのです。代官といっても年貢のときに来る程度です」
「はあ」
「承知してもらえますかな」
「でも、どうして私が」
「誰でもいいのですがね。大人しそうで、勘定の達者な人なら」
「私でよろしいのですか」
「はい」
「浦上さん」
 浦上は別の声で呼ばれた。
「浦上さん、そんなところで居眠りしてちゃ、いくら小春日和でも風邪を引きますぞい」
 目を覚ますと、畦作りを手伝いに来ていたことを思いだした。
「あ、はい」
 
   了




2018年2月14日

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