小説 川崎サイト

 

蜘蛛女


 四家町はオフィス街で、そこの古ビルに妖怪が出ると聞き、妖怪博士は見に行った。担当編集者の頼みなので、これは仕事。出不精な博士でも、これは出ないといけないだろう。実際にはそういった場所へ行きたいのだが、きっかけがないだけで、行けばそれなりに楽しめるようだ。
 しかし妖怪が出ているのだから、それは楽しいとか、面白いとかいってられない。だが、出ることが悪いことだとは限らない。出た方がいい妖怪もいる。
 今回は大きな蜘蛛が出るらしい。大きい目の蜘蛛どころの騒ぎではなく、人がしゃがんで両足を広げているほどの大きさ。こんなもの蜘蛛だとは言えない。バケモノ。だから妖怪。
 目撃者は古ビルの管理系の人で、使い込んだ雑巾のような年寄り。巡回中に見たらしいが、特に被害はない。大きな蜘蛛がいるだけだが、廊下の向こうから背の低い人間が近付いて来る。見れば足が長いし、何本もある。通路一杯を使うほど幅があり、これでは狭い場所は通れないだろう。どこから入り込んだのか、それを調べる以前に、そんなものがいること自体がおかしい。
 管理の爺さんの案内で博士は古ビル内を案内してもらった。
「他に見た人はいませんかな」
「いません」
「どの辺りに出ましたかな」
「ここです」
「この三階の廊下ですか」
 左右にいくつもドアが並び、聞いたことのないような事務所が入っている。
「いつ出ます」
「いつといっても色々でして」
「時間は関係しないと」
「はい、昼でも夜でも」
「場所はこの三階の廊下だけですかな」
「いえ、ビル内のあちこちで見ました」
「あ、そう」
「あれはなんでしょう。蜘蛛のバケモノですか」
「はい、昔からそういうものがおります」
「おりますか」
「おります。だから驚かなくてもよろしい」
「はい」
「蜘蛛と遭遇したとき、どうでしたかな」
「向こうから蜘蛛が沢山の足で歩いてくるので、逃げようとしたのですが、足が動きません」
「金縛りのような」
「そうです。足が縛られたように」
「どんなお顔でした」
「そりゃ怖い顔になっていたはず」
「いや、蜘蛛のお顔です」
「女でした。顔よりもむっちりとした太ももが何本も出ていて、股がどうなっているかが気になりました」
「何歳ぐらい」
「ああ、二十歳前後のまだ若い」
「顔だけではなく、胴体までは人のはずですが、どんな服装でしたかな」
「さあ、そこまでは見ていませんが、赤いのを着ていました」
「毛むくじゃらの蜘蛛の体ではなく、衣服を着ていたわけですな」
「そうです」
「和物ですか洋物ですか」
「洋物だと思います」
「化粧は」
「分かりませんが、唇が真っ赤」
「髪型は」
「不規則に飛び出して、逆毛が立ってました」
「はい」
「蜘蛛女でしょ」
「そうですなあ。それで、足がすくみ、動けなくなったあと、どうなりました」
「蜘蛛女も止まり、ずっとわしを見ておりました」
「それから」
「後ずさりました」
「あなたが?」
「いえ、蜘蛛女が後ろ足で去って行きました」
「この廊下でしょ。突き当たりは壁、右側に階段がありますね。そこを下っていったのですかな」
「そこまでは見ていません。蜘蛛女が後退していくのでほっとしたところで、足が動いたので、逃げました」
「そういうことが何度もあったのでしょ」
「廊下でばったり合ったのは一回だけ。あとは階段を上がってくるところを見たり、違う通路にいるのを見たり、屋上の隅っこにいるのを見たり、ときには壁を這い上がろうとしたりとか」
「被害はないのでしょ」
「ありません」
「最近病院へ行きましたか」
「行ってません」
「持病は」
「肝臓が悪いです。飲み過ぎです」
「お薬は」
「飲んでません」
「風邪のときでも?」
「飲んでません」
「蜘蛛女を他で見たことは」
「今回が初めてです」
「挿絵とか、映画とか、写真とかでは」
「ありません。それが蜘蛛だというのに気付いたのは何度か見てからです」
「はい、有り難うございました」
 妖怪博士は聞くだけ聞いて、帰ろうとした。
「あのう」
「何ですかな」
「あなたプロだと聞きましたが、退治とかは」
「それはだめでしょ」
「え」
「ここのヌシでしょ。それほど大きいとね」
「はあ?」
「このビルを守っているのでしょ。退治など以ての外」
「じゃ、今度出合ったときは」
「蜘蛛女は意外と弱いし、臆病です。刺激を与えないようにすれば何もしません」
「でも、どうしてそんなものが出るのでしょう」
「私は蜘蛛女じゃないので、そんなことは分かりませんよ」
「プロでしょ」
「だから私の言う通りにしなさい。古いビルにいると聞きます。しかし少し大きい程度の普通の蜘蛛ですがね。これは普通の民家にもいます。ヤモリとセットものです。だからあなたと同じです」
「私と同じとは」
「警備系です。守っているのです」
「じゃ、仲間か」
「まあ、そんなところですな」
「じゃ、どうしてあんな人間の姿をして、しかも大きい」
「蜘蛛が化けてものでしょ」
「はあ」
「だから、バケモノ。この場合、蟲化けと呼んでますがね」
「どうして私だけに見えるのですか」
「きっとその蜘蛛女、あなたにだけ姿を送ったのでしょ。見えるように」
「ど、どうしてですか」
「あなた、よく見ると整った顔をされている。若い頃、美男子だったんじゃないですかな」
「え」
 
   了




2018年2月15日

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