小説 川崎サイト

 

気分の決壊


 やっていることは同じことでも気が乗らないことがある。やり方や機能は同じでも、昨日とは違う。中身ではなく、別の問題で気が乗らないのかもしれない。当然気分が悪いときは、気の乗りも悪いだろう。何とか乗り切る程度が目的になったりする。その過程は普段よりも苦しいかもしれないが、調子が悪い中でもやり遂げた場合は、気分の悪さも改善するかもしれない。
 この気分は体調的に気分が悪くなった悪さだけではなく、当然やっていることが気に入らなくなり、気が乗らないこともある。この場合は気分が悪いとは言わないが。ひどい場合は、本当に気分が悪くなるほど、嫌なことになる。
 気分がいいとか悪いとかを感じないときの方がいいようだが、こればかりは機械ではないので、波がある。その波がどこから来ているのかは大凡分かるのだが、体調のように近くから来ている場合よりも、遠くから来ているものの方が本当は深刻だ。その遠くとは将来とか、その先とかの話だろうか。当然過去からの波もある。
 こんなことを、今やっていていいのだろうかとか、これをやっても大したことにはならないとか。
 そういう気分というのは天気のようなもので、結構変わるもの。
 気持ちの波はちょっとしたことでも起こる。ちょっとしたことで気が滅入ったり、ちょとしたことで、もの凄く元気になったり。
 そういったものはコントロールしにくい。だから上手く流せないので、我慢して嵐が去るまで待たないといけない。これが気分がいいときは晴れているような日で、できるだけ引き延ばしたいのだが、そうはいかない。
 水を制するもの天下を制すると、何処かで聞いたことがある。単純にいえば、治水だ。だから稲作などがメインの定住民による国だろう。
 水を制するとは川の流れを制するということだろうか。雨は制御できない。川もそうだ。しかし、少しはコントロールできる。流れを変えたり、堤防を築いたり、または決壊する箇所はそのままにしておき、その横に田畑を作らない。無理に止めるのではなく、決壊させる。そこには人は住まないし、大事な作物は植えない。そのまま放置していると、池ができるかもしれないが。
 気分というのも、決壊することがある。天下を制するように、この気分も制すればいいのだが、そうはいかない。これは自然現象に近いためだろう。雨が多く降れば決壊しやすい。その雨を調整できない。気分もそうだ。
 気持ちがじとっと湿っているとき、決壊しやすい。何ともならないものは、何ともならないと知る方がいいのだろう。
 
   了

 
 


2018年2月24日

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