小説 川崎サイト

 

自然流


 久岡は同じ手しか使わない。そのやり方は単純なもので、技とも芸とも言えぬ代物。誰にでもできることだ。相手は安心している。よくある手の中の一つしか使わないため、対策が簡単。それにその必要もないほど安っぽい手。
「技を教えたはずだが」
「はい、習いました」
「どうして、それを使わない」
「さあ」
「さ、さあとは頼りない。しかとした方針でやっておらぬのか」
「師匠から教えられた基本を守っています」
「まあ、それは感心でいいが」
「初心を忘れないようにと、何度も言われましたし」
「今も言っておる」
「だから、初心者の頃に学んだ方法でやっているのです」
「だから、それは基本で、もうかなり立つのだから、応用というのを考えないとね。その技は色々伝授したはず」
「でもそれを使いますと、初心が飛びます」
「だから、初心というのは技ではない。気持ちを言っておるだけで、何も技まで初歩のままでおれと言っているのではない」
「でもリスクがあります」
「それを補うのも技の内」
「はい、そうしています」
 しかし、この師匠は本当に心配して、そんなことを言っているわけではない。なぜならこの久岡、意外と強いのだ。そしてかなりの上位者になっている。見た目は弱そうで、しかも大した技を繰り出さないのに、不思議と勝つ。
 実は師匠にも分からないところで、技を出しているのだ。これは久岡だけが知っており、そのことは一切言わない。
 久岡が隠し技を使っているのではないかと、一時評判になった。あんな単純な基本技だけで上位者相手に勝てるわけがない。しかし、どんな技なのかは分からない。
 ある日、師匠がまた、確認した。
「秘技を使っているという噂があるか、本当か」
「さあ」
「さ、さあとは頼りない。大事なことじゃ」
 実は、こっそりと使っているのだが、それは言わない。技が技として見えないのだ。何処でその技を使ったのかも相手には分からない。
 久岡は技を使っているという自覚はあるが、それは使ったあとでのことで、自覚して技を使っていない。だから、師匠にも技は使っていないと言っている。
 つまり、自然に出るのだ。しかし、それが技だとは思えないほど自然で、基本的な動きをしているようにしか見えない。要するに基本の動きの中に全ての技も含まれていることになる。
 しかし、この久岡、人気がない。地味なのだ。特徴がない。得意技もないのだから、そんなものだ。
 ある日、師匠がまた問いただした。
「何か自分の型を作り、特徴を出してはどうじゃ」
「それをすると負けます」
「いやいや、勝つための勝ちパターンだ」
「必殺技は封じられます。出せないでしょ。相手も警戒していますから」
「そ、そう、そうじゃなあ」
 何の特徴もない初心者レベルの動きしかしない久岡。しかし憎いほど強い。
 ある日、また師匠が話しかけた。
「君のその技なしの技、わしにも教えてくれんか」
「はい、簡単です」
「で、どうすればいい」
「基本通りの動き、初心者の頃の動きしかしないことです」
「しかし、何か妙な動きを、この前見たぞ。他の者には分からんだろうが、わしにはちらっと見えた。あれは秘術だろ」
「だから、そういうのは自然に出てしまっただけです」
 これを自然流と呼ばれるようになったのは後の話。
 
   了




2018年2月28日

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