小説 川崎サイト

 

妖怪ぽんと


「春山さんでしたかな」
「はい」
「どういう用件でしょうか」
「さあ」
「さあ?」
「はい、あったのですが、忘れてしまいました。すぐに思い出せると思いますので、少し待って下さい」
「では、あまり深刻なことではないのですな」
「いや、中身は忘れましたが、恐ろしいことです」
「ほう」
「だから妖怪博士を訪ねたのです」
「じゃ、その用件とは妖怪の話ですな」
「そうです。そこまでは分かります。妖怪が出たので、来たのですが、それが何か、ぽんと」
「ぽんと?」
「ぽんと忘れたのです」
「では分かっていることは妖怪が出た。そして怖いと」
「はい、そこまでです。急にどうして忘れたのでしょう。ここの玄関に入る前まではどういう話し方をすればいいか、話の順序などを練りながら来たのです。こんな話、信じてくれるだろうかとか、話してもしっかりと聞いてもらえるだろうかとか」
「はい」
「家を出る前から、それを考えていました。電車の中でもブツクサ言っていたはずです。頭の中ではもう妖怪博士と会って奥の六畳でお茶を飲みながら、話していたのです。博士の反応も覚えています」
「ああ、そう」
「話し方の順序も練りに練りました。またその演出も、最初は物静かに、そして妖怪の具体的な下りになるときは躊躇しながら、とか」
「あ、そう」
「しかし、玄関に入ったとき、ぽんと忘れてしまいました。まるで、ぽんとネタを落としたように」
「ああ、なるほどねえ」
「どうしましょう」
「じゃ、ぽんとが出たのでしょ」
「出なかったのです。だからぽんと忘れたのです」
「それがぽんとという妖怪の仕業でしょう」
「妖怪ぽんと」
「そうです」
「でも忘れましたが、そんな雰囲気の妖怪ではなく、もっと怖い」
「でも思い出せないのでしょ」
「はい」
「ぽんと落とした」
「まあ、そうです」
「妖怪ぽんとにやられたのでしょ」
「そういうことですか」
「はい」
「どちらにしても、忘れてしまい、話すようなこともありませんから、これで失礼します」
「はい、御達者で」
 この人、本当に度忘れしたのだろう。
 
   了



2018年3月3日

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