小説 川崎サイト

 

大物の散歩


 長峰は全ての役職から身を引き、所謂引退したのだが、これは見せかけ。その影響力は以前と変わっていない。しかし辞めた以上、肩書はもうない。それでも実質上、長峰が仕切っていることは紛れもない事実で、誰も彼が引退し、去ったとは思っていない。全ての人脈は長峰が握っており、その範囲は広く、長峰が結び目になっており、ことあるときは長峰を通してでないと、話が通らない。
 役職を辞してから暇になったのか、普段しないような町歩きをしてみた。もうただの老人と変わらない。見知らぬ町を歩いていても、見知らぬ町の人々や通行人にしか出合わない。毎朝、挨拶を受けながら社屋にいるのとは大違い。
 ぶらりと歩いているうちに、これもまた良いのではないかと思った。肩の荷が降りた状態なので、足取りも軽快。このまま本当に隠居しても良いのではないかと、ふと考える。
 目的もなく町を歩く。そんなことは今まで考えもみなかったこと。
 いつの間にか長い塀が続く通りに入り込んでいた。学校か工場でもあるのだろう。
 やがて門が見えてきたので、それを見ると工場。聞いた覚えがある。関連会社の工場で、こんなところにあったのかと、改めて見る。ここは不況で何ともならないとき、泣きつかれ、長峰が融資し、さらに役員を入れ替えたため、生き残った。
 その中の工場の一つが、ここなのだ。その後どうなったのかと、ふと思い出し、また仕事モードに戻ったのか、門を潜った。
 すると守衛が出てきた。
 要するに、関係者以外は入れない。
「長峰が来たと言えば分かる」
「少しお待ちください」
 警備員は長い間詰め所に入ったまま出てこない。
「あのう、御用件は」
「工場長を呼べ」
「あ、少しお待ちを」
 しかし、工場長は長峰を知らないらしい。
 つまり、もっと上の人でないと、長峰が分からない。
 確かにこの会社に融資したが、融資先は曖昧にしておいた。
 要するにこの町にある工場には、長峰を知っている上の人物はいない。だから名前を言っただけでは入れない。それに工場長は、もっと下の地位なので、面識がない。
 この会社の別の工場へ視察へ行ったときは車だったので、門番など関係なかった。また、門の前まで幹部が出迎えていた。
 ただの老人がいきなり押し掛けても入れるわけがない。そのことに気付いたのだが、何とも気分が悪い。
 自分がいなければ、この守衛もいないだろうし、工場そのものも閉鎖だろう。
「ああ、もういい」
 警備員は丁寧に老人を追い出した。
 やはり、目的もなく、ウロウロするものではない。
 これに似たことを若い頃のことを思い出す。イベント担当になり、野外の特設会場で催し物を仕切った。そのとき、会場に入れなかった。自分が手配した警備員に阻止されたのだ。あのとき、名前を言えば当然入れたが、今回は目的がなかった。
 
   了
 
 


2018年3月9日

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