小説 川崎サイト

 

見た目通り


 人は見た目で分からないが、見た目ではない事柄などを見たとき、それで分かるのだろうか。見た目といっても見ただけの見た目もあるし、表面だけの関係もあるし、また表面的なことしか知らない場合もある。これは人に限らないが。
 見た目はあまり良くないが、実際には良い人だったというのがパターンとしてある。ではどういうところで良い人だと分かったのか。これも見た目の一部ではないのか。
 そして意外と禁じ手とされている見た目がほぼ真実に近かったする。
 これはビジュアル的に見ているだけでも、また会話などから得たことの表面だけを見ているわけではないため。当然本当はこうだったとか、表面はそうだが、実際にはそれは誤解だったとか、踏み込んだ情報を得たわけではないので、どこまでいっても表面的。皮一枚だけ。しかしその皮だけで、分かったりする。奥の情報はないのに。
 これは見ているだけではなく、伝わってくるものがあるためだろう。
 見た目だけだと誤解しやすいが、その誤解が当たっていたりする。このあたりになると直感になる。
 では直感の何処に触れて判断しているのだろう。これを「何となく」と呼んでいる。本人もしっかりと説明できない。それだけの材料がないためだ。だから想像だろう。
 この想像はどこから来ているのかになると、意外と動物的なところからかもしれない。
 人の本質を見極める。それは経験とか、勘所とかを働かせる高度なものだ。それとは逆に、レベルの低い動物的なことで判断する。これは細かな情報の積み重ねではない。
 そうなると、この判断は敵か味方かレベルになってしまう。そしてあくまでも本人にとっての。そのため普遍性はない。
 見た目で誤解し、本当はそんな人ではなかったと思った場合でも、その後しばらくして、また逆転し、やっぱり最初の見た目通りの人だったとなることもある。すると、最初の直感が正しい。
 ただ、そういうことは本人の都合で決まるので、相手を正しく評価するというのは無理かもしれない。
 
   了
 


2018年3月14日

小説 川崎サイト