小説 川崎サイト

 

業界のキッコーマン


 下田は人の集まりを苦手としていた。嫌ってもいた。しかし人出が多いところは好きだ。大勢の人で賑わっているところへはよく出掛ける。ただし、見知った人がいないことが条件。群衆の中の一人は意外と孤独なもの。だから、一人でいるときと変わらないためだろう。
 しかし集まりが苦手、徒党を組んだり組織の一員とかは駄目。スタッフとかはとんでもない話で、何かのスタッフに加わるとかはもってのほか。
 そんな下田なのだが、ある業界のキーマンになっている。キーポイントにおり、扉を開ける鍵を握っている人。
 それはいつも孤立しているため、手垢が付いていない。誰とも親しくはないが、悪くも思われていない。敵もいなければ味方もいない。このポジションにいるのは下田だけ。実力はさほどなく、人を動かす力もないのだが、人と人を繋ぐ役目程度はできる。色に染まっていないため、通りがいい。
「下田さん。あなたがキッコーマンだと分かりました」
「それや醤油でしょ」
「はい。隠語です」
「あなたが業界の鍵を握っているのです」
「握っておりませんよ」
「派閥、仲間、そういうものを作らないあなた、その位置で何を狙っているのですか」
「何も狙っていませんよ」
「それは分かっています。何も狙っていないということは、皆さんもご存じ。だからあなたには気を許すのですが、本当はどうなのです」
「そんな野望はありませんよ」
「あなたは三人では絶対に人と合わない」
「合ってますよ。そんなこと避ける方が難しいじゃないですか」
「しかし、あなたを含めて三人の場合、あなたは死んでいる。いないのと同じ。全く話の中に入ってきません」
「相手が二人だと話しにくくてねえ」
「本当は何を企んでるのですか」
「何も企んでいません」
「これまで何度か異変がありました。業界を揺るがす大きな動きです。そして、いつも下田さん」
「はい」
「下田さんが暗躍しています」
「何もしていませんよ」
「下田さんが橋渡しをしていることは分かっています」
「直接言えないから、伝えてくれと頼まれただけです」
「北原さんと毛利さんを合わせたのもあなたでしょ」
「はい、両方から言われまして。それだけですよ」
「そういう密談をあなたが仕切っていた。これは複数あります。いつもいつも下田さんの影があります」
「私は何もしていませんよ」
「さて、今回」
「はい、何でしょう」
「ちょいとしたクーデターを起こします」
「そんなこと、私に喋っていいのですか」
「あなたは口が堅いというより、自分から話さない。聞かれても面倒なので、話さないでしょ」
「はい、面倒に巻き込まれたくありませんから」
「だから明かせるのです。しかし、このクーデターには奥の院のバックアップが必要なのです」
「長老の田端さんですね」
「そうです。援護はいりません。見て見ぬ振りをしていてくれればいいのです。できますか」
「何を」
「いやいや、そういう風に奥の院に伝えてくれますか」
「簡単です」
「はいはい、それを期待していました。お礼に、いいポジションを約束します」
「いらないです」
「それだ」
「え、何ですか」
「我々の仲間にも入らないという意味でしょ」
「そうです」
「だから、キッコーマンを続けられるのだ」
 
   了


2018年3月28日

小説 川崎サイト