小説 川崎サイト



海老

川崎ゆきお



 大阪市観光振興課職員沢田は、これは駄目だと決断した。
「どういうことでっか?」
 大阪城天守閣の真下で食堂を営む店主の徳一が、名刺を見ながら尋ねる。
「ほら、今日も観光客が大勢おいでです。この店で騙しては駄目でしょ」
「だます?」
「この天麩羅うどんは、何ですか。騙しているでしょ。こんな騙され方をされると、せっかくの大阪城の雄大さも台なしです」
 徳一は意味が分からない。天麩羅うどんを食べた客がいちゃもんをつけてきたことは、これまで一度もない。
「うちの天麩羅うどんが、何で騙しでんねん。聞き捨てならん。ちゃんと説明しておくんなはれ」
「この尻尾は何ですか?」沢田は、食べ終えた天麩羅うどんの器を指差した。海老の巨大な尻尾が残っている。
「海老の尻尾ですがな。それがどないしましたんや」
「大きすぎます」
「えっ」
「もうそれで、説明する必要はないでしょう」
「沢田はんでしたか。今日は客として来はったんか、それとも仕事でっか」
「観光振興課としての仕事です」
「大きな尻尾の海老が何で観光の妨げになりますのや」
「頑張らないでください。もう、意味は分かってるでしょ」
 徳一は、それが問題になるとは思えなかった。それは業界の常識で、そこは聖域だった。それに関し、客も文句など言えないと信じていた。
「さっき、試しに私も頂きました。あまりにもひどいのでがっかりしています。このがっかり感、失望感、これはいけないと思いますよ。他府県から来た観光客が、これを体験し、大阪はひどいところだ、油断も隙もない。ケツの穴の毛まで抜かれるような街だ……。それを問題でなくて、何が問題ですか。しかもここは大阪城公園内。そこで、こんな真似をされては駄目ですよ」
「親父の代からここで店やってまんねん。何で今更そんなこと言われなあかんのや。法律に反してるわけやないし、うどん屋でもそば屋でも、これは常識やで」
「そんなことはないですよ。天麩羅うどんと書かないで、かき揚げとかに改めている店や、最近のファストフード店等、しっかりとミは入ってますよ」
「それやったら、同業のうどん屋全部に文句言うてくれ」
「ここは大阪でも数少ない観光地ですよ。この場所で、それを平気でやるから警告しているのです」
「うちは騙してまへん。ちゃんと海老の天麩羅うどんだす。これがエビガニに見えまっか。海老は海老だす」
「こんな尻尾だけの海老、よく見つけてきましたねえ。その辺には売ってないでしょ」
 徳一はツバを飲み込んだ。
「小さな海老なのに衣で固める技は評価しますよ。しかし、私の歯に一度たりとも海老の歯ごたえはありませんでした。衣が溶けるだけ。そして尻尾の付け根に少しだけ海老の肉らしいものが付着していました。この海老、突然変異か何かの特殊な海老でしょ。尻尾だけがやたらとでかい。この尻尾から推測すれば、さぞや大きな海老だと思うではありませんか。お宅はそれを知っていて、この海老を仕入れ続けている」
「この海老は親父の代から使っておる」
「私の落胆感を、あなたはお分かりにならないのですか。観光地の食堂は料金も割高です。この天麩羅うどんは、それを考慮しても高い。高いだけのことはあると天麩羅うどんが出て来たときは思いました。巨大な尻尾、どんぶりからはみ出るほどのボリュームの天麩羅。しかし私の期待は見事に裏切られた。このショック、分かりますか」
「そんないやしいことを」
「いやしい……そうです。そう思われるから文句を言わないのですよ。普通の観光客はね」
 徳一は、そこまで突っ込まれたのは初めてだった。今まで問題もなくやってこれたのだ。
「この海老はどこで仕入れたものですか。特殊な海老です。これは証拠物件です。明らかに確信犯だ。狙ったものだ」
 沢田は割り箸で海老の尻尾を挟み、徳一に突き付けた。
「騙すつもりでね」
 徳一の鼻がビクリと動き、不快の意を現した。
「法律には触れておりまへん。問題なしだす。天麩羅うどんとはそういうものですがな。ここは料亭とちゃいまっせ。しがない土産物屋の食堂でっせ。日本全国、何処行っても、わてら程度の店やったら天麩羅うどん、こんなもんですがな。ゴチャゴチャ言われる筋合いおまへん」
「ご主人……」沢田は箸を下ろす。
「私が問題にしていることを、もう一度繰り返します。いいですか、場所の問題。印象の問題を言っているのです。これは大阪市の観光に係わり、市の財政にも係わる問題であり、また大阪文化にも係わる由々しき問題なのです。天麩羅うどんの海老が小さいのが問題なのではないのです。その見せ方が問題なのですよ」
「それはわてには関係おまへんなあ。わては浪花の商人として自由に商ってますんや。どんなもん出そうと、わてとこの勝手ですがな。観光課にとやかく言われる筋合いやない」
「私の警告を聞き取っていただけない場合は、しかるべき手段に出ますよ。簡単なことです。この巨大な尻尾の海老を仕入れないで、普通の海老に代えればよいことなのです」
「しかるべき手段とは何でんねん?」
「公園事務所で営業許可を取り消してもらいます。観光振興課に非協力な業者に許可を与えるほうがおかしいでしょ。ここは大阪城公園内です。大阪市の管轄内にある公園なのです。この食堂は公園内の売店であることをお忘れなく」
「うちの親父は天守閣館長と長年の付き合いがおまんねん。館長はんは市長に立候補するほどの政治家でっせ。公園事務所も観光課も、怖いことおまへん」
「その種の癒着があるから観光振興課が出来たのですよ。この課は観光課の下ではなく、市長と直結しています。こねは通じません。また大阪二十一世紀文化協会とも繋がっています」
 徳一は諦めることにした。
   ★
 翌日の新聞に巨大な海老の尻尾だけの天麩羅うどんの記事が載った。
 沢田をマークしていたフリーライターがすっぱ抜いた記事で、観光客を騙す天麩羅うどんと大きく取り上げられ、写真が掲載されていた。
   ★
 沢田は観光振興課長から呼び出された。
「なかったことにしてくれや」
 沢田は、圧力がかかったと思った。
「もう、あの食堂はほっとけ」
   ★
 沢田は徳一の食堂へ走った。
   ★
 天守閣の下に人の群れが出来ていた。食堂の前だった。
 群れは行列だった。
 巨大な尻尾の海老の騙しぶりを見ようと、多くの観光客が来ていたのだ。
 
   了
 
(この作品はフィクションであり、実在するものとは関係はありません)


          2003年1月7日
 

 

 

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