小説 川崎サイト

 

アレが来た


 暖かいというより暑いような春先、季節が進みすぎたのではないかと竹下は焦った。少し気温が上がった程度で焦る必要はないのだが、妙に汗ばむ。実際に汗をかいているのだから、そのままだ。
 アレが来るのはもっと先の初夏。暖かいから暑いに変わる頃までには何とかしないといけないと思い続けていたので、日にちよりも気温で反応したようだ。
 初夏になるとアレが来る。招かざる客だ。良いものが来るのなら汗ばむ必要はない。
 部屋にいるときは気付かなかったのだが、外に出ると暑くて、汗ばんだので思い出したが、まだ先の話なので今すぐアレが来るわけではない。
 しかし町を歩いていても、アレが現れそうで不安になる。アレは何処に現れるのかは分からないが、いつ現れるかは分かっている。もっと先の初夏。だから今は心配しなくてもいいはず。
 しかしアレはこの馬鹿陽気で出て来るかもしれない。もう初夏だと勘違いして。
 汗ばむのだがまだ青葉さえ出ていない。葉を落としたままの枝の方が多い。桜は満開。花見に出ても、この暑さが気になる。
 アレが出てくると大変なことになるが、交わす方法は分かっている。だから大丈夫。出ても怖くはないはず。毎年アレは出てくるが毎年交わしている。しかし間一髪で逃げたこともあり、油断しているとやられる。そしてアレにやられてしまった年もあり、それから数年は草も生えないような荒れ地が続いた。
 竹下はもう一度アレの出る時期を思い出してみた。決まった日でも月でもなく、初夏。だから曖昧。既に梅雨入りしてしばらく立ってから出ることもあったり、大型連休の終わり頃に来たこともある。夏や秋や冬には出ない。
 アレのことを考えていると桜並木も不気味に見える。その華やかさが逆に狂気の空気に覆われているように。
 この明るさが怖い。
 しかし安心してもいい。桜の咲く頃には出ない。まだまだ先。
 だがアレは気温と関係しているのかもしれない。今日は初夏に近い気温。花見の頃に出たことはなかったが、こんな暑いような日に花見をしたことは今までない。
 もし温度と関係しているのではと心配になる。
 竹下はアレが出たときの対処方法を知っている。無視することだ。驚いたりしないこと。反応しないこと。これは何度か遭遇したときに見付けた方法で、毎年これで回避している。
 桜並木の歩道や、その横の公園にいる人達を見ていると、羨ましくさえ思える。アレの心配などしなくてもいい。しかし、呑気そうに花見をしていても、心中穏やかではない人もきっといるはず。他人はよく見えるのだと竹下は思い直し、気を引き締めた。
 桜並木を過ぎた頃、また気温が上がったのか、さらに暑くなってきた。これなら夏だ。
 来るかもしれない。出るかもしれないと思うと、本当に出ることもある。そういう年もあった。竹下自身が呼び込んでいるような結果になる。
 アレのことを考えない方がいい。アレの思うつぼに填まる。
 こうなれば、今ここでアレが出た方がいい。初夏を待たずに、今。
 その方が早い目に済む。年に一度しか出ない。だから今、出てくれた方がタイミング的にはいい。嫌なことは早く済ませた方がいい。
 竹下はうううううと唸り声を出しながらアレを呼び込もうとした。そんなことで出て来るのかどうかは分からないが、今なら覚悟ができている。
「大丈夫ですか」
 すれ違った人が竹下に声を掛ける。近くにいる人も竹下を見ている。 
 滝のように顔から汗が吹き出ているのだ。
「いえ、ちょっと汗かきの方で、よく汗をかくだけなので」
 汗が目に入り、一瞬風景が霞む。そしてクリアになったとき、そこにアレがいた。
 
   了




2018年4月6日

小説 川崎サイト