小説 川崎サイト

 

カーテン婆


 人の気配などしないはずのワンルームマンションの一室。居間は一室だが洗面所とキッチンを合わせると一間だけの間取りではない。
 田口は一人で住んでいる。誰かがいるようなことはない。ただ壁は薄く、両隣や上階や下階からは人の気配というよりも具体的な音がする。だから人の気配があってもおかしくないのだが、部屋の中をすっと誰かが横切ったような気配が何度かある。
 閉めきった窓、空調を止めているのにカーテンが揺れたり、掛けてあったタオルやシャツが少し揺れている。そのものは現れていないが、間接的に現れている。
 田口の友人の友人で霊感の強い人がいたので、一度見てもらうことにした。
 見るからに何かに取り憑かれているような目付きの女性が友人と一緒に来た。彼女は綺麗な瞳をしているが、目の周囲が黒い。何か塗っているのではないかと思うほどクマができている。こんなに見事なグラデーションの黒さはないので、メイクかもしれない。
 女は部屋を眺めながら、ある一点でピタリ止まった。
「はい、分かりました」
「やはり何かいるのですか」
「はい」
「何ですか」
「カーテン婆です」
 田口は笑いそうになったが、必死で堪えた。
「カーテンを開けいるとき、端の方に膨らみができますよね」
「あ、はい。しっかりと閉じていない場合」
「今はその状態でしょ」
「そうです」
「その膨らみの中に婆さんが隠れているのです」
 田口も子供の頃、同じ場所に隠れん坊のときに入ったことがある。
「うちの婆さんはまだ生きてますが、このマンションには来たことはありません。もうかなり年なので」
「カーテン婆です」
「それは分かりましたが、何処のお婆さんですか」
「知りませんが、老婆です。それがカーテンの膨らみの中に隠れているのです」
「しかし、見たことはありません」
「隠れているからです。そうでないと意味がないでしょ。隠れている意味が」
「一人で隠れん坊をしているのですか」
「隠れん坊ではなく、隠れん婆です」
「分かりました」
 田口は友人に目配せする。まずい人を連れてきたなあというように。
 友人も頷いている
 二人が帰ったあと、田口はカーテンの端の膨らみに入ってみた。
 カーテンは二枚。一枚は白くて薄い。もう一枚は遮光カーテン。
 膨らみの中はそれほど暗くはないし、閉塞感もない。何か繭の中にいるようで妙な感じ。それなりに憩えるので、座ることにした。
「うっ」と体が反応した。何が起こったのかはすぐに分かった。ものすごい視線を感じたからだ。
 田口はさっとカーテンを開けると、部屋の真ん中に老婆が座り、こちらを怖い顔で見ている。
「誰だ」田口が叫ぶと、老婆は逃げようとしたが、立ち上がるとき、足がつったのか、這いながらキッチンの方へ逃げ去った。
 田口がキッチンに入ると、誰もいない。人が隠れるような場所はないはず。しかし、流し台の下の開き戸ならそのスペースがある。田口はさっと開いたが、鍋とか段ボールとか、プラスチック容器とかが詰まっており、鼠ぐらいしか入れない。
 そのことがあってから、もう異変は収まった。吊してあるタオルは揺れなくなったし、カーテンも揺れない。
 
 という体験談を編集者が妖怪博士に見せた。
「これはネット上の投稿かね」
「そうです」
「気配など、いくらでもあるだろ」
「カーテンが揺れたのは」
「隙間風じゃろ。または振動」
「老婆が座っていましたよ」
「老婆の話を聞いたからじゃ」
「足を引きつって逃げたとか」
「自身と重ね合わせたのじゃ」
「それじゃ駄目ですよ妖怪博士」
「そうか」
「何とかそれらしく解説して下さい」
「流し台の下の納戸は鼠の国へと繋がっておる」
「鼠の国ですか」
「鼠の浄土として昔からある」
「はい」
「そこから妙なものがたまに出てくるのだろう」
「はい、それでいきます」
 そのあと編集者は何かを思い出したようだ。
「何かが横切ったというのがありましたが、その説明をお願いします」
「何か」
「はい、誰もいないはずなのに、部屋を何かが横切ったと言ってます」
「じゃ、横切ったのだろう」
「何が」
「何かじゃ」
「説明できませんか」
「できん」
「じゃ、横切った話は抜いておきます」
 
   了




2018年4月7日

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