小説 川崎サイト

 

簡単なこと


 簡単なことほど難しいのは、簡単にはできないから。これは意識の問題。
 簡単すぎると、こんな簡単なことで良いのではないかと心配になる。大事なことだともっと手間取っても不思議ではない。それがいとも簡単にできるとなると、これは何か間違いを犯しているのでは、考えが足りないのではと詮索する。
 また簡単にやってしまうのはもったいないと思い、必要以上に時間を掛けたり手間を掛けたりする。実際には考える必要もないほど簡単なことでも。
 また、あまりにも簡単すぎると、これは罠ではないかと考えたりする。これは下手な考えだが、上手な考えもある。
 簡単なことを複雑に見せたりすることもある。簡単すぎると有り難みがない。もっと大層なことだと思わせた方が値打ちが出る。
 簡単なことを複雑にすると、もう簡単なものではなくなってしまう。あとで付けたようなもの、それは解釈でも良い。そちらの方がメインになり、本来のものが見えなくなる。簡単なものなのに盛ってあるものが逆に邪魔をする。
 簡単なこととは捉え方の問題で、簡単だと捉えるかどうかで決まる。簡単だという意識だ。最初から簡単なのではなく、よくよく考えてみると、これは簡単なものではないかと分かってからの話。最初から簡単なものとは、考える必要さえないほど簡単なもの。だから初期値から簡単。
 あまりにも簡単だと、労がない。それでは努力したり、頑張ったり、懸命にやっているというものが盛れない。
 簡単に済ませられるようなことを複雑にしたり、また逆に複雑なものを簡単に済ませたりもする。いずれも意識の問題も大きい。意識とは関係なく、簡単なものも複雑なものもあるが、それは絶対的な意味が含まれるためだろう。
 つまり本当は複雑で難しいことを簡単にやってしまうと怖い。何か間違いをしているのではないか、こんな簡単なことで済むのかと手も足も止まる。
 簡単なことでもそれとの接し方で違ってくる。だから簡単なことが簡単にはいかない。
 複雑で手間暇の掛かることでも、本当は簡単なことかもしれない。また簡単なものではないと誰かが見せかけていたりするし、本人もそうだと思い込んでいる。
 本当は簡単なことだったとなると拍子抜けする。そこで抜けたものとは意識や気持ちだけではなく、儀式のような盛り物、飾り物も含まれる。
 しかし、本当は簡単なことではないことを簡単だと思える神経は素晴らしいかもしれない。
 
   了

 
 


2018年4月11日

小説 川崎サイト