小説 川崎サイト

 

スケジュール


「昨日は何だったかな」と田村は起きたとき、それを思い出そうとする。前日何をしていたのかで今日が決まる。昨日の続きだ。それは昼の連続ドラマのように、その続きが今日あるから。昨日の状態によっては今日が違ってくる。
「何もなかったなあ」これは特に注意すべきこともないということで、変化がないまま今日もそれを続けるというもの。前日と前々日とでは変化はあるのだが、言うほどのものではないので、これは変化なしとしている。つまり、普段通りで今日は良いということだ。
「今日もまた退屈な日を送るのか」これはぼやいているわけではない。これを実は望んでいるのだが、望みとしては弱い。何も望んでいないのと同じなので、それでは元気も出ない。しかし元気を出さないとできないようなことはしたくない。
「油断大敵」これはそのままだ。平穏な日常でもとんでもないことがたまにある。ただの偶然や、ただのアクシデント。下手をすると一生涯付いてまわる重みを背負わないといけないことも。それほど大がかりなものでなくても、二三日面倒なことになる。
「世の中どうなっておるのか」これは田村自身に何もないので他所様のことが気になる。対岸の火事。大きいほどいい。
 しかし世間を見回しても田村と関わるような事変は滅多にない。田村が見ている大きなメディアでは、遠すぎるのだ。ロシアのヨーロッパ寄りの天候を知ってもほぼ無関係だろう。シベリアでもまだ遠いが、冬場なら少しは関係してくる。ここからロシア軍が南下するように、冬将軍というコサック騎兵のような寒波が南下する。
「今日の昼は何を食べるか」細々とした身近なネタなら非常に関係する。田村はパンとうどんを考えているが。面倒なときはパン。うどんは食べに行くのではなく、パックものを家で作って食べる。鍋の必要なパックものの方が安いが、アルミ鍋入りなら簡単。中身は同じだが、アルミ鍋分だけ高い。しかし簡単。そのアルミ鍋を残して使うようなことはしない。残しておけばかなりの量のアルミ鍋が積み重なるだろう。つまり、話が日常の中の細々としたところに至ってしまう。
「明日の予定は」と田村は思い出そうとするが、はるか先にポツンと一つだけある。これが鬱陶しい。ちょっとした野暮用で、やりたくもないこと。しかし、しないとあとで面倒なことになるので、しないわけにはいかない。要するに予定など殆どないということだ。
「うどんは天麩羅が良いかキツネが良いか」これはパックもののうどんで、またそこへ戻る。もっと重要なことで頭を働かせたいのだが、そのネタが小さすぎる。しかも天麩羅といっても天かすを円盤状に固めた程度のもの。それならキツネなら油揚げが入っている。これは栄養価は天かすよりもあるだろう。しかしカロリーはこの天かすが高そうだし、出汁も油っぽくなるので美味しい。
「どちらでもいい話だ」と思うものの、キツネにするか天麩羅にするかで体調が分かる。
 そんなことを思いながら田村は朝の支度を始めた。
 
   了


 


2018年4月25日

小説 川崎サイト