小説 川崎サイト

 

三村君じゃないか


 三村はとりあえず散歩に出た。このとりあえずがいけない。これという判断ができないので、適当なことをしていることになるのだが、それでもとりあえず動ける。それが解答ではないにしても。とりあえずやってみようという感じだが、やることが分かっているのなら問題はないが、やることがないので、とりあえず何かをするというのが問題。
 三村はとりあえず散歩に出た。これは本来の目的ではない。散歩に行きたくて、散歩に行くわけではない。こういうとりあえずのときは、よくないことが起こるのだが、散歩程度ではそれほどもの凄いことなど起こらないだろう。ただ、交通事故に遭うと問題だが。
 それぐらいは普通に回避するはず。頭がパニックになり、外に出て、そのパニック状態のままウロウロするのなら別だが、その日の三村はそれほど重症ではない。
 居ても立ってもいられない。座っていても立っていても駄目。それなら歩けばいい。それで散歩に出た。文字通り一歩一歩歩を進めることができるが、歩くことが目的ではなく、歩いて到着する目的地もない。あるとすれば、とりあえず間が誤魔化せることだろうか。この間は、問題の間で、間を置くということだろう。
 そういった難しい解釈をしながら、三村は家の近所を歩いているのだが、これはとりあえずの散歩。しかしいくらとりあえずでも、何処へ向かうか程度のことは決めないといけない。ただ、決めなくても家の前の道を適当に進めば、それで済むこと。どちらの方角へ行くか、関係がないのなら、それこそ適当でいい。このとき、右へ行くか左へ行くかは癖や慣れや歩きやすさなどで勝手に判断を下しているようだ。
 とりあえずの散歩でもとりあえずの目的地なり、コース取りが必要なので、三村はとりあえず静かな方角へ向かった。
「三村君じゃないか」
 三村はよく聞こえなかったが、自分を呼ぶ声かもしれないとは思わなかった。
「三村君じゃないか」
 今度ははっきりと聞こえた。
 三村は周囲を見回すが、誰もいない。空耳にしてははっきりとした声だった。
 三村はしばらく立ち止まったまま、じっとしていた。しかし、その後、声は聞こえない。やはり空耳なのだ。だが、二度も聞いた。
「ここだよここ。見えないかい」
 そんなものは見えない。
「僕だよ。正岡だよ」
 三村は走り出した。正岡を知っている。しかし姿がない。何処かに隠れているのだろうか。住宅地の狭い道だが、人の気配などない。
 三村はそのまま歩きだした。もし隠れているのなら、追いかけてくるだろ。そのとき姿が見えるはず。
 しかしその後、声は聞こえてこなくなった。正岡は知っているが、この近くには住んでいない。それに何年も合っていない。そういう友人はいくらでもいる。同級生などそんなものだ。卒業すればもう合う機会もないため。
 奇妙なことがあるものだと三村は思うものの、それが凄い現象だとまでは考えていない。よく考えると、凄いことが起こったのに。
 そして戻って来たときは、このとりあえずの散歩も終わったことになる。そして、本当にやらなければいけない問題について、もう一度考え始めた。今度は避けないで取り組むため。
 そして、無事に問題を乗り越え、ほっとしたとき、「三村君じゃないか」というあの声を思い出した。そのときは空耳だと思っていたのだが、よく考えると、もの凄く怖い話だ。
 正岡の消息が気になるので、共通の友達に連絡し、正岡のことを聞いた。すると、特に変化はないらしい。
 やはり空耳だったようだが、何度思い出しても、ぞっとする話で、後で効いてくる。
 
   了




2018年5月11日

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