小説 川崎サイト

 

浦上の悪蔵


「浦上の悪蔵さんはおいででしょうか」
「そんな人、ここには下宿していないよ」
「ここにいらっしゃると聞いたのですが」
「聞き違いじゃないのかい」
「困ったことがあれば浦上の悪蔵さんを訪ねて行けと言われまして」
「確かにここは浦上だが、悪蔵なんて人はこの宿にはいないよ」
「それは困った」
「もしかして徳三郎さんのことじゃないのかい」
「違います。悪蔵さんです」
「何をしている人だね」
「さあ」
「下宿人はいるが、徳三郎という人だ。一度も部屋代を払ったことがない人でね」
「その人が悪蔵さんかもしれません」
「そうだね。悪いやつだから、悪蔵と呼ばれても不思議じゃない」
「おられますか」
「いない」
「じゃ、お待ちします」
「いつ帰るか分からんよ」
「ここで暮らしていらっしゃるのでしょ」
「そうなんだが半月ほど姿を見ないことがある」
「下宿代、払っているのでしょ」
「払っていない」
「いつお帰りでしょうかねえ」
「さあ、鉄砲玉だから分からんよ」
「でもどうして下宿代、払わないのでしょうねえ」
「金がないんだろう」
「お金なら、私が持ってきています。私が払いましょう」
「二年分だよ」
「ああ」
「まあ、いいんだ。徳三郎さんには世話になっているから」
「悪蔵さんとはどんな人なのです」
「知らないで来たのかい。名も徳三郎だよ」
「村に来た旅人から聞きました」
「ほう」
「困ったことがあれば、浦上の悪蔵さんを訪ねなさいと。それで下宿先を教えてくれました」
「それは何かの縁だね」
「いったい悪蔵さんとはどういう方なのでしょう」
「ごろつきだよ」
「やくざですか」
「ああ、そんなものだけど、徳三郎がいるから、この宿にはごろつきは寄りつかない」
「そんなに強い人なのですか」
「さあ、喧嘩をしているところなんて見たことがないけど」
「じゃ、いないのなら、出直します」
「それがいい。ところで、何を頼みに来たのだい」
「嫁の弟が駆け落ちして、連れ戻したいのですが、どこにいるのか分からなくて」
「困ったこととはそんなことかい。名はなんていう」
「お淳さんと吉次さんです。吉次さんは私の義理の弟で堅気ですが、お淳さんは茶屋の」
「玄人だね」
「はい、きっとだまされて」
「じゃ、徳二郎さんが戻ったら伝えておくよ」
「お願いします」
「もし何処かでそんな話でも聞けば、知らせるので、在所を教えてくれないか」
「はい、東郷村造り酒屋の峰吉と言えば分かります」
「徳三郎さんが引き受けるかどうかは知らないよ。それにものすごく困った話でもないしね」
「いえ、旅人の話では、そういうことは得意だとか」
「まあね」
 一月もたたないうちに、浦上の下宿屋の使いを頼まれたという物売りが来て、吉報をもたらした。見つかり、そして戻ってくる最中とか。
 浦上の悪蔵。本名徳三郎。これがどんな男なのかは分からない。
 
   了


2018年6月24日

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