小説 川崎サイト

 

雨の土曜日


 雨の土曜日、土橋は近所の喫茶店で一服している。この雨では出掛けても楽しくないだろう。そう思いながら、以前のことが頭をよぎる。何か特別なエピソードや印象に残るシーンではなく、土日の過ごし方。
 以前なら土曜か日曜は何処かへ出掛けていた。近所の喫茶店ではない。もう少し遠い。場所によってはギリギリ日帰りできる距離。
 これは平日、自由が奪われていたことの反動だろうか。好きなところへ行ける自由を確認したかったのだろうか。一日まるまる自分のことで過ごす。人と一緒のこともあるが、一人のときの方が多い。一緒だと好きなようには動けないため。
 ところが退職後、毎日が自由になった。何をしてもかまわない。ところがしばらくするとあまり出掛けなくなり、徐々にその回数も減ってきた。いつでも行けると思うと、今日出なくてもいいし、明日出なくてもいい。気が向いたら行こう程度になる。
 しかし、一向に気が向かない。以前なら簡単に出掛けていた。何も考えないで、さっと。まるで仕事のように。
 土橋は山歩きが好きなので、近くの山へよく出掛けたのだが、これも今は大層になったのか、滅多に行かない。そして最近では行く気さえない。ただハイキングの案内書や地図を見るのは好きだ。以前行ったコースなどを改めて見たり、また地図には載っていないが、近道を見付けたことがある。今も地図には載っていない。
 やはり反動だろう。自由を得ると、自由を使わないのも自由になる。そしていつでも自由を使えるので、今でなくてもよくなった。
 あの頃休みの日になると出掛けていたのは、ストレス解消もあったのだろう。それと通勤電車ではなく、少し遅らせて、のんびりとした車両で、いつもの都心部ではなく、逆側へ向かう。いずれも反動だ。いつもとは逆側へ行こうとしていた。
 つまり土橋の場合、仕事あっての趣味であり、行楽。仕事が消えれば、それらも消えてしまう。
 さて、近所の喫茶店、何することもなく座っている土橋。これはちょっと危険ではないかと思うようになる。
 何もすることがない人。座ったまま虚空を見ている。それに該当する。本でも読めばいいのだが、今まで読んだ本は全て通勤中。部屋では読まない。これも反動だ。
 知識を伸ばしたり、趣味を深めたりするエネルギーは、仕事に行っていたからこそ生まれた。
 これではいけないと思い、土橋は急に立ち上がり、喫茶店から出た。
 外は雨、傘を差し、歩きだす。それは駅の方角、広い世界がその先にある。だが、二三歩行ったところで、覚めた。
 そして帰ることにした。
 これも反動だろうか。しかし、そんな反動で動いてもろくな結果にはならない。単に町を彷徨うだけの話。何も解決しないし発散もしない。
「危ない危ない」と呟きながら、土橋は家に戻った。
 
   了

 


2018年6月27日

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