小説 川崎サイト

 

漫画老人会


 タムラ画塾という絵画教室がある。古澤の近所にあり、喫茶店の二階。その喫茶店のオーナーでもある老画家が教えていた。
 古澤が入塾した頃が全盛期だったようで、十人以上いた。それほど広い教室ではないので、それ以上は無理。だから試験のようなものがあった。
 古澤が受かったのは、そこそこ絵が画けたためだろう。小学校や中学校ではその教室内では一番絵が上手かった。
 その頃の同期生で橘という古風な名前の男がいた。
 画家としてその後、世に出たのは古澤と橘だけ。ただ古澤はイラストの仕事で食いつないでいたが、これも若い頃ほどには仕事はなくなり、最近は冊子などのカットを書いている。取扱書のイラストや図解。
「漫画を画こうと思うのだがね、どうだろう」
 久しぶりに合った橘が少年のような目で切り出した。橘は洋画家として少しは活躍したのだが、そんな絵を画く人はいくらでもいる。中年あたりで既に売れなくなっていたので、タムラ塾のような絵画教室を始め、その月謝で食いつないでいる。橘は本格的な油絵が得意で、そのためデッサン力がある。だから、美大の受験生で少しは賑わっていた。絵を教えるというより、デッサン教室だった。
「漫画かい」古澤は、適当に聞いていた。
「そうなんだ。僕は絵じゃなく、漫画を画きたかったんだ」
「でも、馬鹿にしていたじゃないか」
「していないよ」
「プロなのにデッサンが狂ってるって」
「それは馬鹿にしてたんじゃない。そんな絵でもやっていけるんだなあと思っただけ」
「最近はそんなことはないでしょ」
「いや、見ていないから分からないけど。やはり田河水疱だねえ」
「え、のらくろでしょ。そんな昔の漫画を」
「いや、あれが漫画なんだよ。僕が画きたかったのはあれなんだ。その弟子が滝田ゆう。ああいう画風がいい」
「それで漫画家になるつもりかい」
「ああ、デッサン教室も飽きた。それにもう油をやる気がしない。油は、高いからね。金がないしね。アクリルじゃ駄目なんだ」
「そうだね」
「君はどうなんだ。トリショの古澤って言われているじゃないか」
「ああ、取扱説明書ねえ。もうあんな絵を書くのも飽きた」
「そうでしょ、だから漫画を画かないか」
「書きたければ、一人で画けば」
「まあ、そう言うな、同期生じゃないか。同じ塾の釜の飯を食った仲」
「そういえば田村先生が亡くなってから、もう長いねえ。あそこはどうなった」
「奥さんがまだ喫茶店をやってるよ」
「ものすごい年だろ。百を超えてるよ、それじゃ」
「じゃ、息子の嫁か、先生の娘さんかもしれないなあ」
「どちらにしても、あの塾出身で、まだ絵で飯を食っているのが二人もいるってことだ。しかし、恩を返せるほど有名にはなれなかったけど」
「いや、君なんて画家として一応世に出たんだから、先生も喜んでいたよ」
「そうだね。それはいいけど、漫画だよ漫画」
「それは冗談だろ」
「本気だ」
「だから、そういうことは一人でやりなさいよ」
「一緒にやろうよ。同人会を作ろうよ」
「二人だけだろ」
「いや、組織的に動いた方が強いんだ」
「あ、そう」
「まずは同人会の名前から考えよう。何かない」
「そんなの考えたこともないよ」
「じゃ、考えておいて」
「ああ、分かった」
「今、思い出すとねえ。君らと一緒にあのタムラ塾でガタガタやっていた頃が一番楽しかったなあ」
「ああ、そうだねえ」
 
   了


2018年7月3日

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