小説 川崎サイト

 

昔の話


 何年か前のことならアクセスしやすいが、何十年も前となると、これは昔のことになる。十年一昔。だからそこから先は昔。うんと古い時代の昔と変わらないことになるが、生まれていない時代ではなく、生まれた頃からの時代だと、同じ昔でも繋がりがある。その時代の空気を吸っていたわけなので直接繋がっている。ただ生まれてすぐなら何も記憶はないだろう。ただ影響は多少ある。
 そこまで古くなくても、たとえば青春時代のことなら、昔のことだとしても記憶にあるはず。むしろ最近の出来事よりも、よく覚えていたりする。
 また同時代を生きた人の話を聞いていると、同じ時代なのに関わらず、別世界の物語、またはもっと遠い昔話のように聞こえることがある。
 それは自分の行動範囲にも入っていたはずなのだが、触れる機会がなかったか、あるいは少なかったのだろう。
 そしてその人の話を聞いていると、かすかながら、思い出すこともある。そうか、そんなこともあった程度だが。
 これがジャンル別の話となると、年表がそれぞれ異なる。もの凄く古い人だと思っていたが年代を見ると意外と古くない。これは自分がその頃何歳だったのかで分かる。
 または昔からいる人だと思っていても、自分より年下だったりする。要するにその人はもの凄く若い頃から活躍していたのだろう。
 また、若い頃は三十以上違う人も、四十以上違う人も、同じように見えた。そこにはっきりとした断層があっても一緒くたになる。その年代の師匠と弟子の関係であったとしても、同じように見えてしまう。
 古くからやっている大ベテランが意外と若かったりした場合、頭の中での年表が狂ってしまう。
 これは知らないジャンル。知らない世界の人の場合に多くある。そのジャンルの年表を知らないためだ。または少しは知っていても、印象だけでの記憶のためだろうか。
 ある有名な人が大活躍し、それが伝説となった場合、年表を見て、自分はその頃何をしていたのかと自分史にアクセすると、時代が分かりやすい。背景とかだ。ああ、あの時代にそんな大活躍をしていたのかと。
 戦前の話となると、もう遠い異国の話を聞くようなものだが、意外と年表的な差はなかったりする。僅か数年の差。
 その人が生きている世界というのは限られた世界のためだろう。そして区切られるためだ。
 
   了


2018年7月9日

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