小説 川崎サイト

 

開かずの踏切


 日常というのはちょっとしたことで変わるが、ほんの僅かならすぐに日常のレールに戻れる。そしてもうそんなことがあったことさえ忘れる。ただ、同じことが二度あると、それが二度目だということを思い出すこともある。一度あったこととして。
 吉岡はいつものように自転車で走っていた。よく晴れた日曜日、それまでの長雨が嘘のよう。雨で涼しかったのだが、急に暑くなった。
 そしていつもの踏切に近付いたとき、キンカンと鳴り出した。よくあることで、十五分に一本のダイヤなので、引っかかりやすい。ここまでは日常のうち。
 幸い踏切手前に木陰があり、そこで待つことにした。踏切まで行ってしまうと、陽射しで暑い。
 電車は左右から来るようで、これは長くなることを覚悟する。そんな決心をするほど大層なことではないが、急いでいるときは線路と並行して走っている道を通り、隣の踏切で渡ることにしている。方角的には寄り道にならないので、問題はない。じっとしているより、先へ進める。
 しかし、その日は待つことに決めた。上手く日影に入り込んだので。
 ところが電車が来ない。それを気付くまで別のことを考えたり、違うところを見ていたため、気にはならなかったのだが、いつもキンカンと鳴り出してから数分で来るはず。だがその間合いが長い。
 その位置からは左右の見晴らしが悪いため、電車が何処にいるのかが見えない。そしてここの踏切が閉まるタイミングは左右の駅に電車が到着したとき。だから結構時間がかかる。乗り降りの時間が長くなっているのだろう。近付いて来ればキンカンと鳴り出すのではない。だから長いときがある。駅で手間取っているのだ。
 おかしいなあ、と思っていたとき、右側から電車が来た。しかし、意外と長かった。だが、左側からの電車がまだ。そのため、余計に待つ時間が増えた。
 これはすぐに通過するだろうと、ペダルを踏む準備をしていたのだが、来ない。
 そうしている間に踏切待ちの人や自転車が並びだした。
 同じように木陰で待っていた老人が踏切の前まで自転車で見に行く。そしてじっと待っている高校生に何やら話しかけている。どうなっているのかと聞いているのだろう。
 やがて老人は線路沿いの道を右側へ走り出した。そちらの踏切は大きい。電車は左から来る。だから、より右側へ行けば遠ざかる。だから開いているかもしれないと睨んだのだろう。
 吉岡も、そこでじっとしているより、待っている時間を少しでも進んだ方が良いと思い、急いでいるときと同じように、線路沿いを進む。いつもの道とは異なるが、何度か通った道なので、まだ日常のうち。
 吉岡は老人のあとを追うように、大きな道に出た。ここも信号待ちのようだ。左から来る電車とまだ近いのだろう。しかし、長々と車列ができている。渋滞だ。踏切待ちが長すぎる。
 老人は遮断機の前まで行き、横の人に話しかけている。吉岡も左からの電車が見える位置まで体を乗り出す。
 かなり遠いが向こう側の駅に止まっているようだ。動いていない。老人はそこで待つようだが、吉岡はもう一つ右にある踏切まで行くことにした。そこは線路沿いの道がないところなので、路地を曲がり込みながら駅を越えたところの踏切まで出る。できるだけ左側から離れた場所の方が良いため。それが当たったようで、踏切は開いていた。
 そこを渡るとき、左側を見ると、豆粒のように小さいが、向こうの駅にまだ止まっているのが見える。
 そして渡りきり、しばらく走ると、いつもの道に出た。
 少しだけ日常から離れたが、日常の中。これも含めて日常のうち。電車が何故止まったままなのかは分からないし、踏切がいつ開いたのかも知らない。ニュースにもならないニュースだが、人身事故があったとしても、分からないままだろう。
 吉岡の日常がちょっとだけ揺れたが、その震源地では非日常なことが起こっていたのかもしれない。
 
   了




2018年7月12日

小説 川崎サイト