山姥
長く山歩きをしている老人から妖怪博士は不思議な話を聞いた。それは一つや二つではない。
「何かいるのは分かるのです」
「何がですか」
「何かです」
「ああなるほど、何かですか」
「そいつは姿を顕わさん」
「しかし、見ないのに分かるのですかな。何かいると」
「はい、笹が妙な揺れ方をしたり、鳥が飛び立ったり」
「しかし、実体はない」
「あるのしょうが、正体を顕わさん」
「そんなとき、どうするのですかな」
「動かないで、じっとしております。そのうち消えますので」
「単純に考えますと、ケモノが近くまで来ていたのでしょ」
「おそらく」
「じゃ、笹でも食べに来たのでしょ」
「そうなんですがね」
「しかし、それとは違うと思うのでしょ」
「そうなんです。あれはケモノじゃない」
「山で異様なものをごらんになったことは?」
「ありません」
「あ、そう」
「しかし気配は確実にあります」
「また、笹ですか」
「いや、何も動いておりませんが、いることが分かります」
「何でしょう、それは」
「さあ」
「感じたわけでしょ」
「はい、いると感じました」
「それが、目や耳や鼻ではなく?」
「そうです。背筋が急にゾクッと」
「風邪でしたか」
「違います」
「じゃ、皮膚で感じられたと」
「いえ、もっと深い骨の髄で」
「ほう」
「これは進んではいけないなと思い。しばらく身構えています」
「はい」
「どうしてもその怖さが治まらないときは、そちらへ行くのはやめます」
「どういうものがいるとお考えですか」
「さあ、見えていませんから」
「じゃ、どんな感じのものか、想像してみましたか」
「はい」
「やはりケモノですか」
「いえ、岩のような硬いものです」
「じゃ、前にあるのは岩」
「いやいや、岩なら見えます。そうじゃなく、大きくて硬い塊です」
「形は」
「そこまで分かりません」
「それらは全て錯覚だとは思いませんか」
「はい、思いますとも」
「やはり」
「しかし、錯覚にしてリアルすぎるのですよ」
「ほう」
「また」
「また?」
「はい、また、何か飛んでいることも。これも見えません」
「鳥のように飛んでいるのですな」
「そうです」
「葉が舞っていたとか」
「それなら分かります」
「じゃ、何が飛んでいたのですかな」
「何かが」
「ううむ」
「すみません、具体性がなくて」
「いいですよ。そんなもの、具体性があれば、バケモノだらけになって大変でしょ」
「そうですねえ」
「感じるところがある。しかし、具体性がない」
「そうです」
「それに目鼻を付ける気はないでしょ」
「ああ、強引に付けられなくもないです。しかし、それを指しているわけじゃありません」
「じゃ、あなたが知っているものではどれに当てはまりますか」
「山姥の妖術」
「はい、結構です。そういう言い方しかできないでしょうから」
「すみません」
「あなたにもし想像力、創造力がもっとあれば、形を与えてしまうでしょうねえ」
「そうなんです。何分絵も下手だし。イメージも貧弱で」
「いえいえ、だからこそいいのです。妖怪を生み出さなくて済みますから」
「やはり妖怪でしょうか」
「妖怪にしようとすれば妖怪になります」
「でも、こっちの世界にいるものとは別の何かを感じます」
「それで、そういったものと遭遇したときは、どうすればいいとお思いです」
「私の経験からいいますと、じっとしていることです。下手に逃げると転びますし」
「じっとですか」
「はい、私は魔除けを持っておりますので、それを握りしめて印を結び、呪文を唱えます」
「意外と原始的なことが効くのですね」
「そうです」
「きゃつらは、そもそも原始的なものかもしれませんからねえ」
「はい」
了
2018年7月15日