小説 川崎サイト

 

パンを買いに行く


 富田は夕食後、なかば散歩のつもりでパンを買いに行く。近所にはもうパン屋はない。小さな店があったのだが、閉まっている。そのシャッターは開くことはなく、そのままは空き屋になったまま。
 夕食後なので夕食が足りなかったわけではない。翌日の昼に食べるパンだ。パンでなくてもかまわないのだが、昼は仕事中に食べたい。仕事をしながら。パンならそれができる。巻き寿司でもいいのだが、それでは高くつく。
 近所のパン屋、これは駄菓子屋のようなものだが、コンビニも近い距離にあるので、もうそのパン屋がなくなっても問題はない。それでコンビニへパンを買いに行くかというとそうではなく、少し離れたところにある百均。散歩がてらなので、少し距離がある方がいい。自転車なので、あっという間に着いてしまうのだが、夕食後、部屋で過ごすより、外の空気を吸いたい。それに季節はもう夏。食べると汗が出る。
 そして夜道を百均まで行くのだが、その途中、何故パンなのかと考えてしまった。決して深く考察するような問題ではない。しかし、パンでなくてもざる蕎麦でもいい。しかもそれを何故夕食後に買いに行くのか。朝、買ってもいいし、昼前に買ってもいい。それが不思議と前日の夜に買いに行く。
 さらにいつ頃から昼はパンにすると決めたのだろう。ずっとそうではなく、普通のご飯とおかずや、暑いときはお茶漬けなどもあったし、うどんや蕎麦もあったり、冬などお好み焼きを焼いたりした。当然焼きそばも。
 仕事をしながらでも食べられるのでパン、という理屈も合わない。それほど忙しくはないので、食事に専念しても問題はない。
 百均でパンを一つ買う。そのついでに日用品も買う。また文房具、飲み物も買うことがあるし、自転車の前籠カバーを買うこともある。だからパン一つだけ買うことは希。
 店屋というのは、見せ屋で、品物を見せるところ。だから見世物と同じ。そういうのを気楽に見に行く場合、コンビニやスーパーよりもいい。それでついつい余計なのを買ってしまうのだが、これは見学代のようなもの。握りやすそうな太さのボールペンを買って試したり、シャープペンまで付いているコンパスを買ったりと、意外と飽きない。だからおもちゃ屋のようなもの。
「これか」
 と、富田は気付いた。パンが目的ではないのだ。しかし、目的にできる。昼ご飯なのだから、それは遊びで買うようなものではない。真面目な買い物だ。
「付随物、おまけか」
 つまり、パンだけを買うのは楽しくない。それだけのことかもしれない。
 当然カップラーメンなども売っているのだが、やはりパンがいい。湯を沸かしたりが邪魔臭い。
「いつ頃からだろう」
 そう思うのは、結構最近のことのため。一年前はそんなことはしていなかった。昼は特に決まったものはなく、適当。しかし数ヶ月前からパンしか食べなくなっている。
 夜に百均へ行ったのがきっかけかもしれない。そこにパンがある。ついでにパンをそのとき買ったのだろう。そのパンはコンビニでもあるようなパンで、メーカー品。中にはまだ生きていたのかと思うようなメーカーのも混ざっている。
 夏場はいい。秋もいい。しかし冬の寒い頃、夜にパンを買いに行くかどうかは分からない。
 成り行きでそうなってしまった日常パターンというのがある。それだけのことだが、それでも細々とした事情が含まれている。
 夜にパンを買いに行く。それを説明するには日常些事の退屈な話になる。
 
   了



2018年7月16日

小説 川崎サイト