劇画時代
ドンドンとドアを叩く音。所謂ノック音。しかし、ドアにガタがあるのか、ドアそのものが緩んでいるのかドンドンではなく、ドアドアと響きが鈍い。中のベニヤが張りをなくし、高い音が出せなくなっているのだろう。
「はい」
宮崎は股火鉢ではないが、扇風機を跨いでいるところだった。
「わし」
声で高岡だと分かった。
「開いてます」
「ああ」
汗びっしょりの高岡が入ってきた。顔は真っ青、怖いものを見たのでも体調が悪いのでもなく、冬でもそんな顔色。これで誤解されるようだが、宮崎はもう慣れたのでその話題はない。高岡は首にタオルを巻き、麦わら帽。紐を解き、さっと脱ぎ、畳の上に置く。
「暑いのに」
「ああ、急に思い付いてね」
「あ、そう」
宮崎は冷蔵庫から一リットル入りのコカコーラを取り出し、湯飲み茶碗に注ぐ。
「あ、ありがとう」
「これを」
と、宮崎は団扇を差し出す。
そして扇風機は宮崎を向いているので、それを二人とも風が来るように首振りにした。すると急にギィーギィーと音がうるさい。
「暑かったでしょ。駅からここまで田んぼばかりだから日影なかったはず」
「それより、理論誌を出そうと思うんだ」
「え」
「理論武装だよ」
「あ、そう」
「それで、その理論を考えながら、ここまで来たので、暑さなんて関係ないよ」
「何か良いのができましたか」
「いや、まだ構想の段階だよ」
「理論誌というのはどうやって出すの」
「最初は肉筆回覧誌でいい。君も書いてくれ」
「絵は書くけど、文章は」
「駄目だよそれじゃ」
二人とも漫画同人会のメンバーだ。
「理論誌を出して革命を起こす」
「え」
「いや、同人会の話だ。このままでは駄目だ。筋が通っていない。何のための同人活動かが明快ではないし、何のために漫画を書くのか曖昧だ。そういうのを話し合ったことがないんだね。だから、理論誌が必要なんだ」
「はあ」
「まあいい」
「いいんですか」
「ちょっとそれをここに来るとき思い付いただけ」
「ところで、漫画は書きましたか」
「いや」
「書いてないっ?」
「まあ」
「カットでもいいから提出しないと」
「カットなら書けるけど、わしが書きたいのは劇画だ」
「さいとうたかをのような」
「違う、辰巳ヨシヒロがいい。そちらこそ正統派なんだ」
「はいはい。そういうことを理論誌で書くわけですね」
「そうだ。まずは足元から固めないとね」
「はい」
「その前に、少し横になってもいいかな。暑さにやられたようだ。一眠りすれば治る」
「暑いですよ、この部屋。昼間寝るのは危険です」
「扇風機があるじゃないか。それで充分」
「分かりました。たまに冷蔵庫を開けますから」
「ああ、そうしてくれ」
高岡は何度も寝返りをうちながら寝ていたが、やはり暑くて寝入れないようだ。
「無理だな」
「そうでしょ」
「じゃ、帰る」
「大丈夫ですか」
「ああ、横になっただけでも、ましになった」
「夕方涼しくなってから」
「いや、戻ってすぐに理論誌を準備をするから」
「あ、はい」
宮崎は駅まで送るため炎天下の田んぼ道を二人で歩いた。
「辰巳ヨシヒロもいいが、松本正彦もいいよ」
「はあ」
「これからは松本正彦の時代だ」
「はあ」
バッタが一匹飛び上がったが着地に失敗したのか、よろけて、羽根をばたつかせた。
了
2018年7月18日