小説 川崎サイト

 

ベンチ


「もうこのへんでいいだろう」
 古田は木陰があり、ベンチがある公園を見付けたので、そこで終わることにした。つまり、それ以上先へ進まないと、ここを目的にすると。
 炎天下、散歩などしている人間はいない。一番暑い時間だ。古田はこの時間、いつもなら昼寝をしている。しかし何を思ったのか、散歩に出た。しかも家からもうかなり遠くまで来ている。徒歩距離で行ける近所なのだが、いつもは車で、細い路地などに入り込んだことはない。
 そこを抜けたところから坂になり、緑が多くなる。これはいい感じなったと木陰の下を歩いていたのだが、調子に乗りすぎ、歩きすぎたようだ。行きすぎなのだ。目的地がないので、行きすぎというのはないが、歩きすぎというのはある。離れすぎ。
 海水浴でも戻れることを考えて沖へ向かう。しかし徒歩の場合、進めなくなればそこで止まればいい。その止まる場所が見付かった。先ほど見た公園の木陰とベンチ。ここならさあ座ってくださいと待っているようなもの。他の何処に腰掛けるよりも安定した場所。人が座るためにあるベンチ。
 幹から少しだけ離れているのは根があるため。何の木かは分からないが、電柱のように立っているのではなく、根元に根の枝が露出している。だから少しだけ離したところにベンチがある。それでも充分日影を作っている。
 しばらく座っていると、意識が遠のいてきた。熱中症でやられたわけではなく、思考停止。物事を考えるとき、それをリードしている船頭のようなのがいる。それがいない。
 そんなとき、頭の中は空っぽになるが、今自分が何処で何をしているのかは分かる。意識は確かにあるのだが、それをあまり動かさないようだ。船頭が一服している。
 これはやはり疲れたのだろう。こんなに遠くまで歩くことなど想定していないので、水筒もない。途中自販機があったのを思い出したが、もう遅い。
 さいわい公園なので、水飲み場がある。小さな噴水のようなものだ。手で受けなくてもそのまま飲める。
 それを一口飲みに行く。そこは日影ではない。木陰から出た瞬間、カリッとする光線を頭部に受ける。帽子を被っていないことにそのとき気付く。いつも車なので、日除けの帽子など用はないし、陽射しのあるところをウロウロするような用事など日常的になかった。
 水を飲んでいるとき「私は水飲み老人か」と、妙な独り言を言ってしまう。
 そして、ベンチに戻ろうとしたのだが、目が変になったようで、ベンチがない。
 それがあった木はある。似たような木が数本あるので、見間違えたのかと思い、それぞれの根元を見るが、ベンチなどない。
 ベンチから立ち、そのまま直進した。だから振り返ればあるはず。それがない。
 しかし、暑くて頭がぼんやりしているためか、それ以上深く追わなかった。
 だが、もう少し休憩したいので、公園内を見渡し、ベンチを探すが、やはりない。どのベンチでもいい。すると隅っこの荒れた場所に壊れたベンチがある。
 しかし木陰ではない。
 まあ、いいかと思い、古田は帰ることにした。
 帰り道は下り坂になっているのか楽だが市街地に出て、また暑苦しくなる。行くとき見かけた自販機でスポーツ飲料を飲むとぼんやりとしていた頭はしっかりし始めた。まるで点滴を受けたように。
 そして、本当に大事なことなど忘れていた。もう頭にない。帰ってからの仕事などのことで、頭が満たされためだろう。
 大事なこと。それはどう考えてもおかしなことなのに思い出そうとしない。
 消えたベンチのことだ。頭の中からも消えてしまったのだろうか。
 
   了
 


2018年7月19日

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