小説 川崎サイト

 

希望と恐怖


「希望していることはあるのですが、恐怖を感じます」
「恐怖とは怖いということですか」
「怖いだけならいくらでもありますし、それは何事にも付きまとうでしょう。その度合いではなく、恐怖です」
「ほう」
「恐れおののく感じです。怖いより上です」
「希望を抱いたとき、それが出るのですね」
「そうです。いい希望です。悪い希望ではありません。非常にいい感じになる事柄です」
「しかし、その希望の中身がやはり問題なのではありませんか」
「ノーマルです。よくある希望です」
「第一希望の学校とか、会社とかのような」
「そうです」
「それなのに、どうして恐怖が付きまとうのです。怖がるようなことじゃないでしょ」
「怖いを通り越して、恐怖です」
「では希望を抱くと恐怖も来るわけですね。抱き合わせで」
「そうです」
「うむ」
「だから、希望を抱けません。怖いですから」
「どんな怖さですか」
「存在が根元からぐらつくような。そして底知れぬ深淵がポカリと開いていて」
「なるほど、精神的な怖さなのですね」
「そうです。具体的な神経に来るような怖さではありません」
「それで怖いので希望を持たないと」
「はい」
「それは一種のプレッシャーでしょうか」
「武者震いのようなものかもしれません」
「武者震いは元気そうで、景気が良さそうですねえ」
「やってはいけないことではないかと思うのです」
「希望をですか」
「そうです」
「でも希望はあるでしょ」
「いくらでもあるのですが、希望へ向かうことはいけないことではないかと」
「ほう、また消極的な」
「そうですか」
「だから、あたな自身の気持ちの問題でしょ。何かそこに引っかかる問題があるのでしょうねえ。普通に抱く希望でも無理なのでしょ」
「はい」
「昼ご飯、何を食べようかと希望しますか」
「します」
「できると」
「はい」
「じゃ、希望を抱けるじゃないですか。それを実行しましたか」
「しました」
「怖くなかったですかな」
「ありませんでした」
「ほう」
「しかし、その程度のものは問題じゃないのです。もっと将来的な事柄です」
「夢や希望というやつですね」
「そうです。また密かに抱いている野望です」
「要するに本質に関わる望みのようなものが駄目なのですな」
「そうです」
「それで、どんな怖さなのです」
「先ほども言いましたが、底知れぬ不安感が襲い、自分が自分でいられないような、それが壊れていくような」
「それだけですか」
「原因の分からない恐怖に襲われます。絶対にやってはいけないタブーのようなものをやっているような」
「かなり大袈裟ですが、事実ですか」
「はい」
「怖いので躊躇し、希望を抱かなくなったわけですね」
「そうです」
「しかし……」
「はい、治るでしょうか」
「そうじゃなく、あなたの略歴を見ておりますと、やりたい放題で、好きなことをやっておられる。次から次へと」
「はあ」
「それらは希望とは違うものなのですか」
「さあ」
「決して希望を抱けないような人じゃなく、希望の塊のような人ですよ」
「どれも怖かったです」
「しかし、やってこられた」
「はい」
「充分すぎるほどやってこられたわけでしょ。もう希望などないほどに」
「そうかもしれません」
「そして今頃、希望を抱くと恐怖を覚えると言いだしていますね。これは何でしょう」
「あ、さあ」
「今もそうですか」
「はい」
「怖い物見たさ、というやつでしょ」
「それだけですか」
「そうです。だから怖いことがしたいのでしょ」
「そうなのですか」
「確かに希望を抱くことは、その事柄によっては怖いこともあります。それを楽しんでいませんか」
「いません」
「人にはそういう希望があるのです」
「え」
「怖い目に遭う」
 
   了

 


2018年8月2日

小説 川崎サイト