夏風邪
夏風邪を引いたのか、妖怪博士は寝ていた。しかし、暑くて寝てられない。起きてもしんどいだけなので、もう一度寝ようと、枕に頭をあてる。目は閉じていない。するとこういうときにだけ見るものがある。
天井の節穴。夜、寝付けないとき、目を開けていることもあるが、天井は暗い。昼間だと節穴が見える。木の節の穴だが、そんな穴が空いているわけではない。そこがぽろっとコルクの栓のように取れれば、穴が空くかもしれないが、天井板など触る機会はない。そんなものを落ちてくれば、目からうろこではなく、天井から目玉だ。
だから節穴というより、木目を見ているのだろう。古い家なのでベニヤや合板ではなく、板そのものを張り付けてある。天然物なので二つとない模様。誰かが画いたわけではなく、木として生えていた頃の影響が出ているのだろう。その木が何かは分からないが、軽い木だろう。
節穴のような丸いものが見え、その周辺に模様が流れている。もう一つ、目のようなものがあり、そこからも流れがある。それがぶつかったりしている。
よく見ると、いろいろな線が走っている。年輪だろうか。
それをじっと見ていると、天井が動き出す。それなら地震だが、天井はそのままで、木目などが動き出す。丸い目がスーと移動している。最初見た位置とは違うところにある。線もそうだ。今まで隠れていた筋が浮かび上がり、それが波紋のように拡がる。
いずれも妖怪博士の目が少しだけ動いたのだろう。自分では分からないが、凝視していると、ものが動き出し、今まで見えなかったものが浮かび上がることもある。これは目のピントが少しずれるのだろう。何処にもピントが合っていないときは、頭の中の映像が来る。
じっと見ていると騒がしいので、妖怪博士は目を閉じた。
そして再び開けたとき、もうそれらの動きは消えているのだが、しばらくじっと見詰めていると、また動き出す。
こういうのも妖怪の正体の一つかもしれない。物が動いたり、埃の塊や、汚れが、生き物のように見えたする。じっと凝視しているとジリジリと単純なアニメのように動き出す。そんな虫は存在しないので、妖怪の一種になる。
「お留守ですか、先生」
その声で折角の妖怪ショーが終わってしまった。
「います」
訪問者はいつもの担当編集者だろう。玄関が開いているとき、最近は勝手に奥まで入ってくる。
「暗いところで何をしているのですか」
「電気をつけると暑いのでな。それにカーテンを閉めていても、充分明るい」
「昼夜逆転ですか」
編集者は蒲団を見て言う。
「いや、夏風邪を引いてしまったようでな。それで伏せっていたんじゃ」
「それはいけませんねえ」
「まあいい、しかしどうしたのだね、この真夏に」
この編集者は夏場はここには来ない。エアコンがないためだ。
「稼ぎ時なので、寝ている場合じゃないですよ」
夏場は妖怪のイベントが多い。
「今年はもう出ない」
「それは困ります」
「夏風邪だし」
「それなら仕方がないですが、治ればお願いしますよ。イベントはお盆頃が多いのです。それまでに治しておいて下さい」
「それより、どうしたのかね。わざわざ暑い家に来るとは」
「別に理由はありませんよ。近くまで来たもので、少し顔を出しに寄っただけです。すぐに退散します」
編集者は既に汗を滲ませている。ここは暑いのだ。
「部屋の中でも熱中症になりますから、気をつけて下さい」
「ああ、分かった」
「それと、これはお土産です」
編集者は小さな紙箱を鞄から取り出した。
「何かね」
「景品でもらった扇風機です」
「玩具か」
「結構涼しいですよ。USB差し込み式です」
「ない」
「そうだと思い、アダブターを持ってきました」
「そうか。しかし扇風機はいらん」
「いえいえ、僕が使うのです」
「なるほど」
「今日はこれで帰ります。元気がなさそうなので」
「ああ」
編集者が帰ったあと、その扇風機を付けてみた。小さいのだが、結構風が来る。
「文明の利器だな」
妖怪博士はまた蒲団に戻り、今度はそのUSB接続の扇風機を回しながら寝た。小さくても首振りやタイマーまでついていた。
そのおかげで眠ることができたのだが、起きると、風を受け続けたのか、体がだるい。
曲者じゃな、この扇風機は。
しかし、よく眠れたのか、その後夏風邪はましになったようだ。
了
2018年8月3日