小説 川崎サイト

 

妖楽


「毎年この頃になると出るのですがね」
 妖怪博士宅に客が来ている。その部屋にはエアコンがなく、暑いはずなのだが、この客、平気なようだ。
 妖怪博士は慣れているのだが、それでも暑い。団扇で扇ぎ続けると腕がだるくなる。
 扇風機はあるのだが、もらい物の玩具のようなもので、小さい。客に向けるようなものではない。
「夏場は窓を開けています。当然でしょ。簾はしていません、網戸も。余計なものをすると風が入りにくいからです」
「それで、出るというのは」
「蚊ではありません」
「そうですなあ。蚊が出ただけで、わざわざそんなことを言いに来ないでしょうから」
「来ません。そんなことでは」
「はい。続けて下さい」
「あまりにも暑くて寝苦しいので、窓から首を出しました。その方が風が来るのですが、その夜はそよの風さえない」
「何が出たのですかな」
「今、言います」
「はい」
「これはよく出るのです。毎年じゃありませんが」
「何でしょう」
「窓に顔を出すと、下がよく見えます。ここはアパートの二階でしてね。すぐ下に小径があります。その向こうは田圃です」
「それじゃ蚊がドンドン入ってくるでしょ」
「最近、蚊は減りました」
「そうなのですか。それで、何が出たと」
「今、言っているところです」
「え、もう出ましたか」
「まだです」
「はい、続けて下さい」
 妖怪博士は暑いので、根気をなくしているようで、根よく丁寧に相手の話を聞く耳ではなくなっていた。
「久しぶりに昨夜出ました。いつもは笛の音が聞こえてくるのですがね。これは横笛です」
「はい、音に関する何かですな」
「音はただの鳴り物です」
「鳴り物入りで出るわけですな」
「本人が吹いています」
「横笛を吹く人が出るわけですか。この夜中。まあ、音大生とかが練習しているのかもしれませんよ。また、横笛吹きかもしれませんしね」
「音色はぎこちなく、素人耳でも、上手いとは言えません。途切れたりしますし、流れに節がありすぎて、ゴツゴツしたリズムです」
「じゃ、練習中でしょ」
「その吹いている人が、人ではないのです」
「ほう、やっと出ましたか」
「初めて見るわけではありません。だから知っていました。ああ、出たなと」
「人でないとすると」
「まさに妖怪です」
「ほう」
「最初見たときは猿かと思いました。笛吹く猿も探せばいるでしょうが、表の小径で吹くわけがありません」
「猿に似ていると」
「大きい目の猿よりも、少し大きいですが、ゴリラほどには大きくありませんし、見た感じ、人が座っている姿勢に近いのです。それに顔が猿ではありません」
「他の特徴は」
「これははっきりと分かる特徴です。最初見たときはショックでした」
「どんな特徴ですかな」
「顔があります」
「のっぺらぼうとか」
「それじゃ笛を吹く口もありません」
「はい」
「目が」
「目がどうかしましたか」
「一つ目」
「ほう」
「しかも大きいのです」
「要するに一つ目小僧が笛を吹くと」
「私はほらを吹いているわけではありません」
「はい」
「以前にもありました。それで階段を降りて、見に行きました。すると、気付かれたのか、もう遠くの方へ行ってました」
「暗いのによく分かりますねえ」
「外灯がところどころ点いてますから」
「はい」
「あれは何だったのかと思いましてね」
「それで、来られたわけですね。そして今回始めて見たわけではなく、何度かご覧になっていたと」
「もう出ないと思っていたので、すっかり忘れていたのです」
「笛の音は分かりますか」
「曲ですか」
「そうです」
「聞いたことのない調べです」
「和風ですか、洋風ですか」
「和風だと思います」
「少しは節が分かるでしょ」
「ギクシャクした調べで、聞き覚えのない曲です。どちらかというと、調子外れの伴奏のような」
「伴奏」
「はい、後ろで単調に囃しているような」
「それに合わせて踊れそうでしたか」
「ギクシャクしているので、踊ると滑稽な舞になりそうです」
「相当古い音曲のようですなあ」
「何でしょうか、あのバケモノは」
「動物でしょ」
「確かに人には似ていますが、猿に近かったので」
「猿楽のようなものかもしれませんなあ」
「しかし、音色はぎこちないですが、淋しげな」
「そうですか」
「それと何故一つ目なのです」
「化けたのでしょうなあ」
「はあ」
「それで、そのあとどうされましたかな」
「ああ、またあれが出たのかと思い、下に降りて、見に行くようなことはしませんでした。行っても逃げていませんからね。そういうことが三度ほどありました。今回は窓から覗いていることを知られないように、そっと首を引っ込め、そのまま横になりました」
「はい」
「すると、結構長く吹いていましたねえ。そのうち眠ってしまいました」
「じゃ、子守歌ですなあ」
「はあ」
「何事もなく、よかったではありませんか。笛を吹くだけの妖怪でしょ。そっとしておけばいいのです。危害は加えないと思いますよ」
「しかし、何でしょう。あの妖怪の正体は」
「だから正体が妖怪なのです」
「はあ」
「まあ、お大事に」
「私自身に問題があって、聞こえたり、見えたりするのではありませんか」
「何とも言えません」
「その妖怪の名を教えて下さい。あなた妖怪博士でしょ。妖怪に詳しいはずです」
 妖怪博士は上手い名が思い浮かばない。
「何と言う名の妖怪ですか」
「妖楽」
 これはひねりがないので、失敗したと気付いたが、相手はそれで満足したようだ。
 音だけの妖怪と言うより、怪異がある。その音に映像がついたようなものだろう。音は波長、色も波長。
 音はいつまでも籠もって残るのかもしれない。
 それは一度聞いた曲が、妙に頭の中で、繰り返し繰り返し無限ループに入ったように勝手に聞こえてくるように、妖楽も出るのだろう。
 
   了
 


 


2018年8月5日

小説 川崎サイト