小説 川崎サイト



後ろの一太郎

川崎ゆきお



「後ろ髪をひかれるは艶っぽいがな、彼は男だろ」
「妖怪なんですか?」
「後ろの一太郎じゃな」
「でも、後ろ髪をひかれる思いがすると、言ってます」
「それは、彼の言葉の使い方の間違いじゃ」
「でも、後ろ髪をひく妖怪なんでしょ?」
「後ろの一太郎は色っぽい妖怪じゃない」
「それは、どちらでもかまわないのですが、背後にポイントがあるのですね」
 心療内科の若い医師は、こともあろうに患者の相談を神秘家に話している。もともとそのケがある医者だった。
「後ろの一太郎は確かに過去と関係する。だから後ろと呼んどる」
「それは昔からなんですか?」
「昔も何も、わしが君の話を聞いて付けた名前じゃ」
「ああ、そういう段取りでいいんですね」
「まあ、同じ妖怪を別の呼び方で呼んどる奴がおるやもしれんがな」
「先生以外にも、研究家はおられるのですか」
「勝手に研究しとる連中はおるだろ。止めるわけにはいかんからのう」
「それで、患者さんの話なんですがね」
「だから、後ろの一太郎のシワザじゃよ」
「どういったものでしょうか」
「後ろ向きの発想かな」
「前向きじゃないと」
「横向きでもない」
「つまり、ネガティブってことですね」
「ではない。後ろへ戻ろうとするだけのことじゃ」
「後退することですね」
「進歩的ではないのじゃ」
「つまり、後ろ向きの発想を促す妖怪なんだ」
「そういうことじゃ。その彼が呼び込んだのじゃ」
「後ろの一太郎をですね」
「一に戻そうとする妖怪じゃ」
「ゼロではなく一なんですね」
「初めの一歩の一じゃ」
「それって、悪いことなんでしょうか」
「君は、悪いことではないと思っておろう」
「はい、精神状態は基本ベースへ降りるほど安定します」
「だから、悪い妖怪じゃない。その彼の助けとなる妖怪じゃ。そのままでは、彼は危ない。だから、君の所へ来たわけじゃ」
「僕が先生の所へ来るのも後ろの一太郎の仕業でしょうか?」
「祓い屋は、まあ、心療内科の原型じゃよ」
「バージョンは1なんですね。ここは」
「非常に安定しておる」
「また、来ます」
 神秘家は相談料を受け取った。客は、もうこの医者しかいなかった。
 
   了
 
 


          2007年6月7日
 

 

 

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