小説 川崎サイト

 

妖怪博士の御札


 妖怪博士はよく御札を使うが、これは売られている。印刷されたものではなく、すべて手書き、文字が書かれているのだが、日本語ではないし、お経のような漢文ではないし、その原文であるサンスクリットでもない。古代文字の一つだと言われている。
 ある日、妖怪博士はそろそろ仕入れないと御札が切れることを思い出し、ついでにその御札の呪文を見ていた。どうせ読めないのだから、見ていても見ていないも同然。改めて見ると不思議な文字だ。記号かもしれないが、読めないだけにかえって遠い何かを感じてしまう。呪文とはそんなものだろう。
 お盆が過ぎてから涼しくなり、日影も伸び、外に出やすくなった。それで少し遠出して私鉄の終点から少し行ったところにある町に入った。ここに御札を書いた老婆がいる。
「切れましたかな」
「あれは最後の切り札なのでまたお願いします」
「書きためたものがありますので、それでもよろしいか」
 値段は高からず安からず、実用品なのでそんなものだが、効果はずっと続く。一年間有効ではなく、文字が消えない限り、問題はない。だから結構割安かもしれない。
「この文字なのですがね、お婆さん」
「はいはい」
「これは何語ですかな」
「さあ、代々伝わっているだけで、わしにもよう分からん」
「しかし、お婆さんがこれを書くのでしょ」
「見んでも書ける」
「じゃ、原本のようなものがあるのですな」
「そんな本ではありませんが、粘土板か、石版があったとか」
「石版に刻まれていたのを写し取ったわけですかな」
「そう聞いております」
「この家も古いですが、代々伝わっているのですね」
「わしらの先祖は南方から来た呪術師だったとか」
「ほう」
「この一帯を治めていたらしいのです」
「お婆さんはその末裔ですか」
「そこまで古くはないと思いますよ。わしらが知っておる先祖は洞守じゃ」
「堂守」
「洞窟を守る洞守」
「神社も寺もなかった時代、洞窟がその役目を果たしていたのでしょうなあ。もしかして、その洞窟の中に石版が」
「裏山にある」
「本当ですか」
「途中で埋まってしもうて、奥まで行けんし、それに戦時中は防空壕として使われておってな。戦後は入り口を塞いだ。崩れかけておったのでな。入り口は横穴じゃなく、縦穴なので危ない場所ですわ」
「しかし、その石版、呪術師が村を治めていた時代のものでしょ」
「石版ができたのは、もっとあとだと聞いております」
 老婆は石版を写し取った紙を持ってきた。古いものではない。何度も写し直したのだろう。 妖怪博士がよく貼り付けたり、護符として人に渡したりするものより文字が多い。
「それよりもお婆さん、この御札、何に効くのでしたかな」
「魔除けじゃよ」
「そうでしたなあ」
「神代文字に近いかもしれませんなあ。これを解読してもらいましたか」
「研究家が来たとき、見せましたが、言語体系ではないとおっしゃりました」
「そうですなあ。謎のままの方が神秘的でよろしい。それに原文を見て分かったのですが、横書きのようですなあ」
「あい」
「これを大量に印刷する気は」
「手書きでないと効果が出ないとか聞いておりなすのでな」
「はい、それで後継者は」
「娘や孫にも習わしております」
「女系ですかな」
「この呪文、空で書かないと効果がないのです」
「見ないで書くということですな」
「あい」
「まあ、お婆さんは私よりも長生きしそうなので、品切れの心配はなさそうです」
「あい」
 妖怪博士はその日、多い目に御札を仕入れた。
 
   了


2018年8月26日

小説 川崎サイト