小説 川崎サイト

 

歴史は繰り返さない


 歴史は繰り返されるという言い方があるのなら、歴史は繰り返されないという言い方も当然ある。どちらが名文句になるのかといえば、歴史は繰り返されるだろう。しかし本当は繰り返されるようなことはあり得ない。歴史は一回限り。具体物が違うし、人も時代も違うし、そっくりそのままの舞台や役者が揃っているわけではないので、不可能だし、また繰り返せないだろう。芝居でも繰り返し繰り返しやっていても違いがあるので、同じ繰り返しにはならない。
 しかし、歴史というスケールでなくても、二度あることは三度ある。この場合、似ているということだろう。
 世の中の動きはそれほどバリエーションが豊富なわけではないので、似ていて当然。似たような状況になったり、似たような動きになったりする。しかし、一度あったことを覚えていると、二度目は接し方が違ってくる。ただ、歴史規模になると、同じ人達ではなく、別の時代の人達がやるため、本人にはその経験がない。一度も体験したことのない世界だ。
 歴史は繰り返されるのは似たようなパターンになっていくということだが、これは構造が似ているのだろう。そして役者も。そして観客も似ていたりする。
 実際には歴史は繰り返されない。繰り返されると敢えて言うところに意味があるのだろう。
 流行りというのもある。これも繰り返されるが、以前のものと同じ繰り返しにはならないことは分かっている。同じにしたくても、状況が違うので、同じにならない。しかし、傾向は似ており、傾向だけはそっくりというのもある。
 だから同じような意味内容のものが繰り返されるので、歴史は繰り返されるといっても間違いではないが、抽象度が高い。これはどういう意味を見出したいのかにもよるだろう。
 歴史というのは歴史年表に記されているようなものばかりだとすると、あまり楽しいものは記されてていない。何処かの兄弟げんかや親子げんかなどは載らないが、それが権力者の肉親同士なら、戦いになり、歴史に記される。その戦いで世の中が変化するためだろう。
 お家騒動。跡目争い。勢力の拡大等々、そういうのは国ができたころから繰り返されているのかもしれない。
 歴史が繰り返されないのは、違う因子や意外なものが介入するため、絵に描いたようには行かない。そして、繰り返せない歴史もある。ものすごい偶然で、運がよかったとかもある。これは再現させるのは難しい。本当の歴史的事実でも、結構この偶然が入っており、これは繰り返せない。
 また、良いことでの歴史も繰り返されるのだからと安心できるものではない。それはそんなにきっちりと繰りかえされないためだろう。繰り返される方が難しいのだ。
 また歴史そのものも、解釈の仕方でどうとでもなったりする。個人史を考えてみればいい。今、都合のいいように、昔の経験を解釈する。
 歴史は繰り返されないのは過去の歴史を見れば分かることだ。ただ、似たような繰り返しは確かにあるが、人間が作っていく歴史なので、人間が繰り返しやるようなことは似て当然。
 歴史は繰り返されるより、歴史は繰り返さないの方が風景の見晴らしがいい。
 
   了
 


2018年9月18日

小説 川崎サイト