小説 川崎サイト

 

忌み通り


 水の流れのように、自然に生まれた通い道がある。道は自然に生まれないので、通り方だろう。コース取り。
 武田は一日二回そこを通る。往復で合計四回そこを通っている。何故そのコース取りになったのかが自然の流れに似ているのだが、近道でもあり、通りやすいため。目的地は家から斜め向こうにある。路は碁盤の目のようにあるのだが、東西南北。ところが目的地は南東。だから一本の道がない。そのため、カクカクと回りながら、そこへ行く。
 気が付けば、もう何年もそこを通っている。問題は何もないのだが、気になることがある。
 武田の町内から出る辺り、番地が変わる辺りにいつも人がいる。番地が変わるほどなので、違う住宅地の手前。昔なら村の端。だから村への出入り口にあたる。だから自治会が違う。その境目の家の前にいつも人が立っている。
 ずっと立っているわけではなく、隣の家の人と話したり、また顔見知りと立ち話をしたりと、よくあるような町内の風景だが、武田は何故か気になる。四角い顔で、頑固そうな人。人は見かけによらないが、武田の経験がそう判断してしまう。
 隣の家の玄関先の余地に椅子があり、そこに腰掛けていることもある。自分の土地ではないのに座っているのは、隣家との関係ができているのだろう。そこの人もたまに外に出ているが、たまにだ。
 ある日、武田はいつものようにそこに差し掛かった。そして見るつもりはなかったが、前方なので、目は行く。そこに椅子に座った四角い老人が目を細めてじっと武田を見ている。全くの無表情。
 老人からすれば、武田が姿を現した瞬間、誰かな、という感じで見たのだろう。道端で座り、ぼんやりしている場合、通行人に目がいくはず。
 これは毎回出くわしているので、慣れたものだが、その日の目付きが怖かった。きっと別のことを思っているときの表情のまま武田を見たのだろう。
 同じ町内だが、少し遠い。だから自治会的な繋がりはないに等しいし、それにその外れは昔は田んぼだったので、あとからできた家。武田のように生まれたときから住んでいる関係ではない。もしそうなら学校などの大先輩だろう。
 その四角い老人を今まで意識することはなかったのだが、難しそうな目と合ったとき、ぞっとするものを感じた。これは単なる誤解や錯覚だろう。しかし、悪いものを見た気になり、道を変えることにした。
 一日四回通るので、そのうちの一回は顔を合わせる。多いときは二回。まったく見ない日もあるが、ほぼ見ている。
 こういうのを毎日見ていたことになるのだが、今まで意識していなかった。ああ、またあの人がいるなあ程度で、風景の中の一部。
 しかし、今回あの細い目と目が合ったときの顔はこれまでの顔とは違っていた。別人かと思えるほど。
 自然に生まれたコースなのだが、道を変えてみた。距離的には変わらないのだが、一度大きな道の路肩を通らないといけないので、いいコースではないが、五十メートルほどなので、すぐに裏道に入れる。
 これであのいやな顔を見なくてすむ。通る度に意識的になるのは面倒。これですっきりした。
 しかし、これを数年続けると、あの老人がいた通りへ、何らかの都合で入り込むとき、もっと怖いような気がする。
 武田はこれを忌み通りと名付けた。
 
   了
 


 


2018年9月23日

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