小説 川崎サイト

 

逃水


 ピンチはチャンスだというが、ほとんどの人はピンチだけで終わり、それがチャンスに昇華することはない。しかし確率的にはある。
 ピンチをチャンスと考え、どのようにそれを活かすのかとなると、ほとんどの人はピンチにならないような安全策を考える方向へ向かう。それでもいいのだが新たな何かとというものはそこからは生まれにくい。誰も思い付かなかったようなこととか、場合によっては今後のスタンダードになるような新しいことだ。
 ピンチに遭い、悪いことに遭遇し、結果も悪くなっただけで、チャンスどころの騒ぎではなく、積まなくてもいいような経験を加えてしまう。こういうのは嫌なことなので、忘れるしかないので、記憶の彼方へ行き、これが活きることはない。ただ生理的に、それが残るかもしれないが。忌まわしい嫌なパターンとして。だから、近付かない。
 この場合、何も良いことはないのだが、それをチャンスと思っているわけではないが、その方面のことは嫌がり、回避し、避けるようになる。これは世間を狭くするのではないかと思えるが、世間は広い。一人の人間が関わるようなことはしれている。
 さて、回避する、逃げることで行動範囲が減ったり狭まったりするわけではない。逃げ道は寄り道で、そんなことがなければ遭遇しなかったものと出合えたりする。また別の方法や、別の方向へのアクセスチャンス。これはチャンスと思っているわけではなく、仕方なくやっていることかもしれない。
 それが今まで気付かなかったこと、本来ならやるようなことではなかったとしても、いいものがそこにある可能性がある。
 同じ失敗を繰り返す粘り強さ、その根性は凄いと思うが、ターゲットを変えることも大事。しかし、狙いを変えるという意気込みではなく、そうしないと何ともならないからやる程度。切実としたものがある。
「今回はどうですか」
「前のは失敗しました。もう二度とやる気はありません」
「これで何回目ですか」
「はい、生き方を変えます」
「だから、それも何回目ですか」
「さあ、数えたことはありませんが、今度の生き方は今までになかったこと。生き方っていろいろとあるものですねえ。いくら変えてもまだまだありますよ」
「それはいいのですが、ちょっと具合が悪くなると、すぐにやめて、別のことをするのはどうかと思いますよ。少しは粘ってみては如何です」
「粘れるのなら、そうしますがね」
「あなたは逃げているばかりです」
「いやいや、逃げながらいいものを見付けることもあるのですよ」
「あなた、それ、ただの性癖でしょ」
「それが全てです」
 
   了

 



2018年9月27日

小説 川崎サイト