小説 川崎サイト



霊場

川崎ゆきお



 古川橋幻実は老人の訪問を受けた。
「深田さんからの紹介ですか」
「もう、あなたに頼むしかないということですのや。深田さんが一度お会いしてみろとのことで、お訪ねした次第です」
 深田は経営コンサルタントなるインチキ臭い仕事を生業としている……と、古川橋は自分のことを棚に上げ、深田の職業をけなしている。当然深田とは仲が良くないため、普段からの付き合いはない。
「で、どういうことかな?」
「客が来ないのです」
「何か商売でも」
「喫茶店を経営しておりまっ」
「そう流行るものではないでしょ。この時代、喫茶店など」
「他店は流行っていますのや。うちの近くの店は結構繁盛してまんねん。条件的にもそんなに違わへんのに、それが不思議で不思議で」
「場所はどちらですか?」
「梅田の一等地で、角地で人通りは梅田でも多いほうやし、地上にあるし、ガラス張りで入りやすいのになあ」
「で、深田君は何と言ってました? 経営コンサルトでしょ、彼に任せたほうが良いのではないのですか」
「深田先生の指導通りここへ来ましたんや。この問題は古川橋はんに任せたほうが早いと」
「しかし私は経営とかは苦手どころか、全く辞書にない世界だよ」
「いや、先生のお力でないと、解決しまへん」
「じゃあ、幽霊が出るのかね」
 喫茶店経営者は嫌な顔をした。
 古川橋は目の前にいる男の名刺を見た。富田栄となっている。栄えて当然の名前だ。
 それが栄えなくなっている理由は名前だけの問題ではない。古川橋幻実は姓名判断を信じていない。理由は簡単で、漢字が苦手なのだ。
「これは寸志です。なんぞ手土産でも持って来ようと思いましたんやけど……」
 古川橋は封筒を受け取る。それなりの分厚さがあった。
「分かりました。一応拝見しましょう。ですが解決するかどうかは分かりませんよ。殆どの場合、事態は何一つ変わらない。深田が匙を投げたのなら、おそらく助からない症状でしょうよ」
「それは承知の上ですがな。藁にでも縋る思いで来た甲斐がありました」
「私は藁か」
   ★
 古川橋幻実は阪急梅田駅前に来た。
 その喫茶店はすぐに見つかった。改札へ上がるエスカレーターの近くにあり、降りて来た乗客が簡単に喫茶店の自動ドアを開けてしまいそうな位置にある。
 古川橋はこの喫茶店を知っていた。しかし、意識して見たことはない。そのため入ったこともない。
 どちらにしても非常に人通りの多い場所にあり、経営コンサルタントに頼むほど客が来ない条件ではない。立地条件は申し分ない程度は古川橋にも分かる。
 ガラス張りの大きな窓のため、中の様子は丸見えだ。しかも角地なので、二方面から覗ける。
 店内を見せたことが失敗だとは思えない。どんな店なのかがドアを開ける前に分かるため、安心感がある。
 その情報がまずいのかもしれないが、古川橋にはものを見るセンスがないため、善し悪しは分からない。だが、特にどうということもない喫茶店で、よくある店であり、普通に利用する分には問題はないと思えた。
 つまり、特に拘りを持たないで、一寸休憩したり、待ち合わせに使うのなら十分やっていけるはずだ。
 時間は夕方過ぎ。人通りはかなりある。しかし店には一人の客も居ない。
 喫茶店の前は真っ直ぐに歩けないほどの人混みなので、一人ぐらい、押されて入ってもおかしくはない。
 その喫茶店内がこの周囲では一番人口密度が低い。
 その横にも似たような感じの、一昔前からありそうな喫茶店がある。古川橋はそっとガラスドアの向こうを見ると、客はぎっしりと入っており、濛々と煙草の煙が立ちのぼっている。
 目的の喫茶店には灰皿があった。喫煙出来ない喫茶店ではない。条件的にも大きく違わない。
 やはり古川橋が得意とする目に見えないものの仕業だろうか。
 中に入ってみないと分からないと思い、古川橋は自動ドアを抜けた。
 奥にウエイターが二人いる。カッターシャツに蝶ネクタイスタイル。髪の毛は二人とも黒く、短髪。
 二人とも驚いたような顔をした。
 かなり間を置いてから一人がお冷やを盆に乗せた。
 古川橋は中程のテーブルに着いた。丁度店内の真ん中辺りだ。
 運ばれてきたコーヒーを飲むが、うまいともまずいとも判断できない。普通のコーヒーだ。コーヒーの違いなど分からない古川橋には、どうでもよい問題だ。
 ここに喫茶店があることをどうして行き交う人々には見えないのだろう。
 こうまで客が入らない理由はそれしかない。
 古川橋が最初に出した結論がそれだった。
 見えていないのだ。
 この喫茶店が……。
 自動ドアが静かに開き、一人の男が入って来た。
「久しぶりやなあ」
 経営コンサルタントの深田がもっちゃりとした声を出す。
 古川橋はこの声を聞きたくなかった。
「鼻をかんでから話せよ深田君」
「こういう声やから、しゃあないやろ」
 深田はチョコレートパフェを注文した。
「受けてくれたんやな」
「見に来ただけだよ」
「あんじょう調査してや」
「深田君はどう思う?」
「問題なし」
「問題があるから客が寄って来ないのだろ」
「現実的なデータでは問題なしや。そうでないデータが妙な振る舞いをしとる。俺には見えんデータやから、君に振ったんやんか。どや、第一印象は?」
「この喫茶店、見えてないと思う」
「そんなアホな」
「今日は僕の場だ。静かに聞けよ」
「場か」
「仕事場」
「そやけど、見えてるやろ。ここ」
「隣の喫茶店は見えている。だから、少々ダサい店でも立地条件だけで客が来る」
「俺もその分析はした。どうも客は二店あるとは思ってないのかもしれん。二店並んでる喫茶店ではようある例や。一方が確実に吸い取るんや。それは流れなんや。そやけど、半分ぐらいの差や。ここは全く客が入って来ん日があるというから驚きやねん」
「相変わらず大袈裟な……」
「それが現実に起こってるから、君の出番になったわけやんか」
「しかし、客が全く来ないわけではないだろ」
「極端に少ないことが問題なんや」
「どんな客が来る?」
「ターミナル付近、歩いているような人ではないかもな」
「この辺りの喫茶店はそういう人々がお茶を飲みに入る場所だろ」
「それが入らへんから不思議なんや」
 深田はチョコレートパフェを口の中に溶かし込んだ。その間も客は入って来ない。
 奥のウエイターは突っ立ており、もう一人はレジの椅子で瞑想中だ。二人は交互にレジで休憩するらしいと、深田が説明した。
「何か見えへんか?」
「特に何かが見えるわけやない」
「悪霊が店内の隅でコーヒー飲んどるとか……」
 古川橋幻実には霊視能力がある。しかし、霊視というものは実際には存在しない。霊を直接見るわけではない。また見えるわけでもない。直接見えるのではなく、雰囲気が伝わる程度だ。それには形はない。人に説明しにくいので、分かりやすくするため、何かの形に喩えて説明するだけだ。
 古川橋が、もし何らかの姿を見たとしても、それは幻覚でしかない。古川橋の持っているイメージデータに置き換えられるだけで、その形は古川橋のイメージでしかない。実際にそんな姿をしているわけではない。
 霊には形はない。
 古川橋はもう一度店内を見渡したが気になるものはなかった。意識的に感じようと努力しても何もやって来ない。
「客が来ないだけで、あらぬものとの関連付けは強引だな」
「悪いモンが何か悪さしてるんやろ」
「消極的だな」
「君の場合はな」
「僕ではなく、その悪しきものだ。いや、ものではないかもしれないが」
「消極的とは何や?」
「積極的に祟ろうとはしない」
「そういう意味か」
「これは環境ものかもしれん」
「観光税みたいなもんか」
「うーん」
 古川橋は考え込んだ。今まで遭遇したことのない半端な何かがここを包んでいることは確かだが、それが何かが分からない。深田の言う観光税や消費税に近いものかもしれない。その税率が非常に高いため、客が来ないのだ。
「突っ立っているウエイターさんを呼んでくれないか」
「分かった」
 ウエイターは椅子に座れたことで喜んでいる。厨房のウエイターは死角で居眠りしている。
「客層を教えて欲しい」
「一人客が多いです。お年寄りが多いかな。ちょっと疲れたような人が多いかも。それとは別に団体客がどっと来ます。そのときは忙しいです」
「団体客?」
「すいているので、利用しやすいのかも」
「その団体客の客層は?」
「普通かな。表を歩いてる人と同じかな」
「つまり、ここへは入りとうはないけど、ここしか席が空いてないから、来るという感じやろ」深田が口を挟む。
「一人客は、この喫茶店で何をしています?」
「ぼんやりしてるかな。待ち合わせでもないし、ケーキとかを食べるわけでもないし、新聞や雑誌を読むわけでもないし。座ってるだけかな」
 古川橋は、それを聞いた瞬間、すぐに外に出た。
 そして喫茶店から遠ざかった。
 改札へ上るエスカレータから喫茶店を見たり、二店が同時に見える場所に立ったり、その周辺を何度も行ったり来たりした。
   ★
「間違いない」
「分かったんか? 見えたんか?」
「ほぼ間違いない」
「焦らすなや!」
 古川橋は飲みかけのコーヒーを口に含み、喉に流し込み、続けてお冷やを一気に飲み干した。
「聞かせろよ。驚かんから」
「ここは喫茶店ではない」
 レジで聞き耳を立てていたウエイターの体が少し揺れた。
「喫茶店ではないやて?」
「ここはそんな場所ではない」
「そしたら、どんな場所や」
「聖地や」
「え?」
 レジのウエイターの体が今度は左右に揺れた。
「お前か!」
 深田はレジに駆け寄り、そのウエイターを取り押さえた」
「君は刑事か……経営コンサルタントだろ」
「このウエイターの様子が……」と、言いながら深田はウエイターの手首を離した。
 ウエイターは話に反応していただけだった。
「ここは聖地だ。喫茶店ではない。店内では感じなかったが、離れるとそれが分かる。また、それはかなり意識しなければ気付かなかったかもしれない。ここは聖地であり、聖域だ。恐れるようなものではない。安心しろ。いや、逆だ。ここほど安心出来る場所はない。何故なら、ここは聖地なのだから」
「聖地?」
「たまに来る一人客はお遍路さんだ」
「ここは西国霊場の巡礼コースで、札所とでも言うんか。大阪の梅田のこの辺りにそんな寺があるとは聞いたことないぞ」
「それはない。しかし、巡礼コースに近いものだ。そして、ここは霊場なのだ」
「古川橋君、君の喩え話は俺には分からん。まあ、それは、よしとして、そしたら客はここに何をしに来るわけや」
「立ち寄り、そして喫茶店なので、何かを注文するだろう。それだけだ」
「立ち寄って何をするわけ」
「訪れることに意味がある。それが巡礼だ」
「すると、他にもこれと似た店があるとでも言うのか」
「そうだ。喫茶店として、ここと同じ症状になっている店を当たれば分かるはず。おそらく、ここに来ていた客が、その店へも回っているはずだ。大阪喫茶巡礼コースだ」
「何で、ここなんや。この店なんや」
「この現象は喫茶店で起こりやすい。お茶を飲むだけの場所だし、一人で来て何もしなくてもすむ場所、静かに座ってられる場所だしね」
「うーん。それは説得力がない」
「お遍路さんには目的がある。それは願い事だ。しかも、それはどうにもならないようなことが多いはず。それこそ神仏にすがるつもりの願掛けだ。治らない病気が治りますように……とか」
「こんな都心の繁華街の真ん中の喧噪な場所で、そんな巡礼があるとは思われへん」
「しかし、この喫茶店を見なさい。深山のような静けさだ」
「それは、流行ってないからや」
「だから、それが成立したんだよ」
「助からんか?」
「一度巡礼所、つまり、札所のようになれば、お参りの人しか来なくなる。一般客は、そんな霊場など必要ではない。また、必要としていない。そういう人にはここは見えない。店が見えないのだ」
「作り話だけが上手くなったなあ、古川橋君」
「感じたことを、分かりやすい言葉に置き換えて説明しただけのことだ」
「それではなあ、仕事にならんのや、経営コンサルタントとして。それやったら解決方法はないやんか。何か、お祓いとか、お清めでもして、一件落着にならんか」
「ここは既に清められている。だから聖地、聖域だと言っただろ」
「うーん」
「ここはもう喫茶店ではない」
「それではなあ……」
 深田は経営コンサルタントとしての仕事を超えたことを確認した。やはり古川橋に振って正解だったのだ。もし、まともに引き受けておれば、解決しなかっただろう。
   ★
「このたびは、お世話になりました」
 富田栄は、封筒を古川橋に手渡した。
 古川橋は領収証に捺印した。収入印紙が必要だった。
「その後どうですか」
「まあ、あの店はあれでよいと思うようになりましたわ。先生にお願いして良かったと思ってます。気持ちの整理がつきましたから」
「あなたも経営者。気持ちだけの問題では駄目なんじゃないですか」
「いえいえそうではありまへん。どうせ何をやってもあかん店はありますのや。赤字の喫茶店なんか珍しいことおまへん。ようあることでっさかい。ほんで、赤字やのに営業続けてる店もワンサとありまっさかいな」
「そんな呑気な……」
「そやから、気持ちの問題や言うてますねん。納得出来たらそれでよろしますねん」
「で、客は相変わらずですか?」
「はい、おおきに。おかげさまで安定してますわ。梅田の駅前のあんな人通りの多い場所やのに、あの店だけは鎮守の森みたいに静まりかえってます。耳を澄ませたら小鳥の囀りでも聞こえてきそうでっせ」
「普通、その鳥は、閑古鳥と呼ぶのですよ」
「そうでんなあ」
「でも、落ち着かれて何よりです」
「私も霊場巡りでもやろうかと思いましてな。梅田界隈を先日から歩いてますのや。そしたらあんさん、ありますがな、ありますがな、霊場喫茶が。うちところだけやなかったがな」
「最近は、ちょっとしたブームかもしれませんよ」
「静かすぎるブームでんなあ」
「どうです。表に札所のマークを貼られては」
「いや、うちはカード会社と契約してまへんから、その種のステッカーは……」
「そうですね。分かる人には霊場であることは不思議と分かるものですからね」
   ★
 その後も、霊場喫茶は増え続けた。
 
   了
 



          2003年1月25日
 

 

 

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