小説 川崎サイト



意識の流れ

川崎ゆきお



 川の流れのように意識の流れがある。意識も流れている。
 それは一年前の意識と今の意識とは違うことだ。違う場所を流れている感じで、また速さも違う。
 吉田が数年前なら欲しかったようなものが、今はそれほど欲しくなくなっている。既に買ってしまった場合は、同じ物や似た物を買う時の意識が違う。
 また、収入が増える可能性が見えた時も、買う時の意識も変わる。逆に収入が途絶えそうになった時もそうだ。
 吉田は年々欲しい物が減っていくのを感じた。おそらく似たような物を買っても、最初に買った時に比べると、喜びも小さいのだろう。
 金銭的な限界が吉田にもあるため、買えそうにもない高価な物は意識の中にはない。それは欲しい物ではなく、漠然とあるだけの物として見ている。
 当然興味のない物はその中には入らない。
 最近吉田が思っていることは金で買える物には限界があるということだ。それは持っているお金の限界もそうだが、欲しいと思える物が減っていることのほうが深刻なのだ。
 もしここで大金を得たとしても、欲しい物がないとウロウロするだろう。無理に探さないと出てこないかもしれない。
 欲しい物が欲しいと、欲しい物を探すのだが、意外とそれは見つけ出せない。
 吉田は物質的に満たされてしまったのかもしれないと思うと、淋しい気分になった。
 貧乏だった若い頃は欲しい物が山とあった。それらはとんでもないほど高価な物ではなく、吉田の今の年代なら簡単に買える物だった。
 その時期、無理をして買った革の鞄は今でも捨てないで残している。
 あの頃の、あの感激を味わいたいと思うものの、今はどこか冷めてしまい、全身全霊で奮い立たない。
 もう美味しい時代は終わったのかもしれないと、吉田は思いながらショッピングモールを出た。
 結局何も買えないまま帰ることになる。
 せっかく入ったボーナスも、使い道がないのだ。全部使っても生活には困らない。使ってもいい金なのだ。それを使う場所がないのが口惜しい。
 やはり意識の流れが変わり、金で買える喜びが減少したのだろう。
 幸せは金では買えないかもしれないが、買ったことで人生最大の幸せではないかと思えたこともあったのだから、やはり意識の流れが変わったのかもしれない。
 
   了
 
 



          2007年6月13日
 

 

 

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