小説 川崎サイト

 

選択の自由


 選択肢が一つよりも複数ある方が豊かなのだが、選択したものが豊かなわけではない。枝の多さが豊かなだけ。
 複数あると、こっちの水は甘いぞ式に比較検討しないといけない。これは手間だろう。一番いいのは選択肢が複数あっても、選ぶのは決まっている場合。これは決心も決断もなく、絶対的なもの。それしかないと最初から考えている。これは動かない。こういう心を果たして豊かな心というのか、思い込みの強い人と見るかは分かりにくい。
 選択で迷っている人から見れば、その手間が掛からない。そして疑わない。あっちの水の方が甘いのではないかと、考えたりしない。迷わない。だからこれは豊かなのかもしれない。
 そのタイプは決断なしでやってしまえる。ご飯を食べるように。
 豊かな選択肢、自由に選んでもかまわない。自由が不自由なように、この自由が曲者で、基準を自分で考えないといけない。
 発想のまずい人は硬い頭。柔軟性のなさ。しかし、あまり考えない方が楽といえば楽。頭というのはできるだけ使いたくない。電気代が掛かるわけではないが。
 しかし、考えているだけ、思っているだけの段階では何でもできる。ただ、実際に動くとなると、スイッチを入れないといけない。そうでないと動かない。考えているだけでは現実は動かないが、実行すると現実が変わる。
 そのため、大きい目の電圧が必要。それが決断。決断するときぐっと盛り上がる。この盛り上がりの勢いがないと動けないためだ。そのままスーとやってしまえるのなら楽な話。茶碗でご飯を食べるように。
 選択の自由さ、豊かさよりも、選択後の方が長い。
 いい選択だったか悪い選択だったのかは徐々に分かってくる。そして選び直せない場合は、それと付き合い続けることになる。当然それを捨ててもう一度選択し直することができたとしても、それでは間違いを認めることになる。これはできれば認めたくない。
 強い決断が必要なのは、大事なことが多い。本物のタワシを買うか、樹脂製のタワシにするかの選択など、大したことではないので、決断力も低くていい。選んだときの理由も忘れていたりする。用途が同じなら、大した差はない。それで不満なら次に買うとき、別のタイプにすればいい。
 しかし人生規模での選択は、そうはいかない。
 自分で決めたことは最後までやり遂げ、やり通す。しかし柔軟で自由度の高い人はすぐに鞍替えできる。柔軟の使い方、自由の使い方は難しい。
 いずれにしても決断のとき、冒険を選ぶか安定を選ぶかが分かれ道。そしてよく分からないもの、曖昧なままで不安定なものを選ぶことが結構ある。そちらの方が展開が読めないだけに刺激があっていいためだろうか。
 決断のとき、何がきっかけで何が背中を押すのかは、もう理屈ではないのだろう。
 しかし、情動がないと、行動できない。
 
   了

 


 


2018年11月1日

小説 川崎サイト