小説 川崎サイト

 

我忘れ


 朝、目覚めた吉田は、今日は何をする日だったのかと先ず考えた。こういう日は何かある日で、今日しなければいけない、何かがあるとき。いつもなら単に目が覚め、何時だろうとか、もう少し寝ていたいなどが最初にくる。そのため、特に考えるようなことはしないし、考えることは起きようとすることぐらい。
 昨日の延長、昨日の続きがすぐに始まるわけではない。一度寝てしまうと、繋ぎ目なく始まるというようなことにはならない。どこからが続きなのかは、もう少し経たないと見えてこない。
 だから寝る前の事柄を朝になればバトンのように渡されるわけではない。動画を一時停止したようなわけにはいかない。一時的暗転が長い。何時間も暗転し、暗いままの幕間が長すぎる。だから寝る前の自分とは、少し変わっている。それに昨日に比べ、一日分年を取っている。
 今日は何をする日なのかと、起きたとき、すぐに思うのは、大きい目のネタがあるときだろう。それはすぐに思い出せる。昨日の続きが今日待っている。だから今日はそれをする日。
 しかし、今日は何をする日かは分かるが、今日は何がある日なのかは、実は分からない。やるべきこととは無関係なことが起こることもある。いずれも日常内の出来事なら大した変化ではないが。
 吉田が昨日は勇んでやっていた事柄だが、起きて続きをやろうと考えたとき、その気が失せ始めているのを感じた。きっとあまりいい感じで昨日は終わらないまま寝てしまったのだろう。
 一晩寝かすと正体が出る。昨日は熱中していたが、眠ることで興奮が収まり、冷静になる。すると途端に白けたものに見えてきた。
 それで今日やるべきことから外したくなる。つまり続きをやりたくなくなった。
 それはきっと本来やるべきことではなく、横道や枝道的行為のためかもしれない。しかし、その先にいいことが待っていると昨日は感じていたのだ。
 その感じ、実感は大事だが、錯覚というのもある。一晩置くことで、錯覚かもしれないと思いだした。要は続きをやるのが嫌になったのだろう。
 ではこの二三日熱中したことは、全て無駄になる。熱中なので、食べるものも適当だったし、遅くまでやっていたので、睡眠不足。そのため今朝も目は覚めたはいいが、まだ眠い。
 熱中、これが曲者ではないかと吉田は考え出した。熱中し、我を忘れる。だから我を忘れたのだろう。我とは自分だ。それを忘れたことになる。
 朝、目覚めたときはその自分が戻っていた。その自分から見ると、熱中していた我忘れの自分は自分の本来ではなかったのだろう。
 そして吉田は眠いなか朝の準備をし、一日のスタートを切ろうとした。昨夜まで熱中していたあれは辞めることにしたのだが、それがなくなると、すっきりし、憑き物が落ちたようになるのだが、それでは刺激がない。
 今日はもうわくわくするようなことが消えるわけだ。そして辞めてしまうと熱中していたものが全部無駄になる。だから辞めないで続けた方が物語としては好ましい。尻切れ蜻蛉になるよりも、もう少し続けた方がいいのではないかと考え直した。
 熱中したあとにくるクールダウン現象。ここを乗り越えるべきだろうと吉田は思い直した。
 熱中できるものがあるのも良し悪しだ。
 
   了

 




2018年11月20日

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