小説 川崎サイト

 

ある人名


 植田聖治朗。誰だろう。音ではなく増田は漢字で覚えている。いつ記憶したのだろう。その記憶がない。一度も声を出して呼んだことがないのか、会ったことがないのか。そのあたりもよく分からない。本の中に出てくる人かもしれない。または何かの名簿。視覚的な記憶。
 増田は同級生の名前を思い出していたとき、いろいろな名が浮かんだ。顔の記憶はあるが名がどうしても出てこない人もいた。そのとき適当な名をいろいろと変えながら繰り出す。「さ」で始まる名を適当に浮かべるとか。
 そのとき音ではなく視覚から出てきたのが植田聖治朗。あるようでないような、ないようであるような名だ。これは調べれば何百人も出て来るかもしれないが。
 同級生にそんな名の記憶はないが、校内で見たのかもしれない。名前が張り出されていたのを。しかしそれを言い出すといくらでも範囲が広がってしまう。何かちょっとしたことでさっと思い出せそうな気がする。そちらのほうが早かったりするが、そのヒントがいつ来るかだ。これは差し迫った間題ではない。これを思い出せないと大変なことになるような状態でもない。だから強引にサルベージする必要もないだろう。しかし増田はどのあたりの人か程度は知りたい。おそらくきっかけとなった同級生の中の一人ではなく、もっと別の方面だと思える。植田聖治朗と同級生がどうも結びつかない。違うことだけは分かる。
 植田聖治朗。この名のイメージから辿ったほうがいいかもしれない。
聖という字が気になる。それと名が古い。治郎は年寄りにありそうな名。だが、なぜ聖と親が名付けたのだろう。今の親ならありうるが、治朗が古すぎる。そんな古い時代に簡単に聖の漢字を当てるとは思えない。これは特別な漢字のためだ。
 すると、本名ではなく、俳優などが使う芸名だろうか。しかし聖治朗では今一つだろう。
 増田はそれでしばらくの間、植田聖治朗探しをしていたのだが、いくら考えても出てこない。こういうものはやはりふっと出る。何かの拍子で。思い出そうとしているときは出てこない。
 そしてそれは急に来た。絵に描いたような偶然がきっかけでポイと出たのではなく、いきなり来た。
 それが出かかる手前で増田は止めた。全部はまだ出ていない。その端っこ、手掛かりが見えただけ。しかし、もうそれだけで押し戻した。
 増田が思い出しかけた植田聖治朗とは自分のこと、つまり松田自身のことだった。これはペンネームなのだ。これは思い出したくない。
 同級生の名を思い出していたときに植田聖治朗が来たのも分かるような気がする。同じ時期に付けたペンネームなので。増田はそのとき何になろうとしていたのかは知っているが、誰にも話したことはない。若い頃というより少年から青年になるあたりの嬉し恥ずかしい記憶。何を企んでいたのかと、いま爪楊枝の先ほどでも思い出すと、赤面するし、またあーと声を出したくなる。
 植田聖治朗。中学生が付けるペンネームとしては地味すぎる。
 増田は出かかった植田聖治朗を奥に押し込み、ゴクンと飲み込んだ。
 もう二度と出て来るなというように。
 
   了







2018年12月1日

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