小説 川崎サイト

 

御札とお札


 身なりの良い紳士が車から降りてきた。大きな外車。目的とする家の前には止めららないというより、スペースがないことを知っていたのだろう。
 その家は未だに残っている長屋。車そのものが入れない。その長屋周辺も道が狭い。男は住宅地にポツンとある小さな駐車場から、その家へと向かった。
 何度も掘り起こし、また舗装し、また掘り返して継ぎ接ぎだらけのアスファルトの小径を抜けると、未舗装の道。昨夜の雨のためか、水溜まりができている。それを避けながら妖怪博士宅の玄関戸を叩いた。
 昼寝をしていた妖怪博士は、むくっと起き上がり、玄関戸を開けた。スーツ姿だが、ビジネスものではなく、襟の色だけが少し違う。そして胸にバッジ。何処かで見たような花の模様。
「少し尋ねたいことがありまして、よろしいですか」
 得体の知れない人間だが、妖怪博士そのものも得体が知れない。それで僅かながら気脈を感じた。同業者かもしれないと。
「古代」
 奥の六畳にあるホームゴタツでいきなり用件を切り出した。
「お茶でも」
「あ、はい」
 妖怪博士は冬でも麦茶を冷やしている。それを紙コップに入れ、コタツのテーブルの上に置いた。客用に用意している灰皿も。
「古代」
「寒いでしょ」
「いえいえ」
「ホームゴタツだけでは頼りないはず。電気ストーブを持ってきます」
「おかまいなく」
 妖怪博士は朝のトイレのとき、持ち込んだ電気ストーブを片手に持ち、奥の部屋へ。
 ガチャンガチャン
 引きずっていたコードが廊下の何処かに当たったのだろう。
「どうかされましたか」
「いえいえ」
 そして二人は再び向かい合った。
 客用の座椅子があったのだが、去年、壊れた。そんなことを考えながら、妖怪博士は相手の人相を見た。しかし、見ても分かるわけがない。
「どちら様ですかな」
「それは追々」
「はい」
「古代」
 古代などと切り出す相手は妙な人間に決まっている。しかし、依頼がその方面に及ぶのかもしれない。
「失われた祝詞があります」
「それが古代にあったと」
「その祝詞に心当たりはありませんか。先生はそのあたりに造詣が深いと聞きましたので」
「誰から聞いたのかは分かりませんが、深くはありません」
「先生が研究されている妖怪と関係するようなのです」
「はあ」
「古代」
「はい」
「古代、それが使われていたと伝わっていますが、どのようなものなのかは不明。あったということだけが記されています」
「その方面の研究家でしょうか」
「まあ、そんな感じです」
「古代の祝詞の専門家が知らないことを、私などが知るはずはありませんよ。祝詞の原型のようなものが古代にあったのかもしれませんがな」
「しかし、妖怪も古いので、そのあたりまで分かっておられるのではないかと、思いまして」
「祝詞はまあ、文学です。歌です」
「ほう、面白い解釈ですねえ。妖怪に対しての祝詞の中に古いものはありませんか」
「妖怪に対しては呪文です」
「呪文も祝詞も同じです」
「しかし、呪文は呪うと書き、祝詞は祝うと書くでしょ」
「アタックの仕方が違うだけです」
「はあ。流石専門家。妖怪に対しての御札は攻撃用と防御用がありましてな。そのほとんどは防御用です」
「妖怪に使う呪文の中で古いものはありませんか」
「いや、私は妖怪退治はしませんから」
「普通の呪文ではなく、妖怪に特化した呪文を知りませんか」
「何処でお使いになられるのですかな」
「知っておられるのですね」
「使い場所を教えていただかないと」
「それは言えません」
「政府の方」
「少し違います」
「大企業」
「違います」
「民間でもない」
「民間ではありません」
「何かの儀式で使われるのですな」
「そうです」
「探してみましょう」
「知っておられるのではないのですか」
「心当たりがあります」
「それはそれは」
「しかし、どうして急にそんなものが必要になられたのですかな」
「ずっと一つだけ欠けていたのです。千年以上も」
「それが妖怪封じの呪文なのですな」
「そうではありません。妖怪は関係しません。ただ、忘れられ、途切れてしまった祝詞が陰陽系の中に残っていたという話があるのです。そしてそこでも忘れられとか」
「簡単に忘れるものですなあ」
「妖怪に対しての呪文としては使えないためでしょう。元々が祝詞なのですから。儀式のときに使うだけの」
「それが今、必要なのですか。千年以上、それがないままでもやってこられたのでしょ」
「一つ欠けていることに気付いたのは最近です」
「はあ」
「面倒な説明になりますが、祝詞は対になっております。一方が欠けているのがあるのです。そういうものだと思っていましたが、実はしっかりと対の祝詞があることが分かったのです」
「はい」
「それで、心当たりがあると言われましたね。見付かりますか」
 妖怪博士の呪文の知識は、いつも使う御札売りの婆さんからの知識しかない。その婆さんに聞けば分かる程度。
「出て来るかどうかは分かりませんので期待しないでください」
「いえ、手掛かりは、もう全て調べました。残るのはあなただけになったのです」
「あ、そう」
 妖怪博士は遠出していつもの御札売りの婆さんに探してもらった。
 その婆さん、呪文についての知識はなく、家宝として伝わっている呪文を写し取って、肉筆御札を売っているだけ。
「長さを聞いてこいや」
「はあ」
「だから何行ぐらいか」
「対の祝詞に使われるらしいのじゃ」
「それなら、これがいい」
 婆さんは家宝でもある呪文集から、それに近い文字数の呪文を選び出した。
 妖怪博士がいつも書いてもらう魔除けや妖怪封じの呪文は婆さんにも読めない文字。今回のは漢文に訳してあるらしい。
「この漢文には意味は無いからな。音じゃ。だから全部当て字らしいぞ」
「では、もらう」
「高いぞ」
 妖怪博士は調査費をもらっていたので、そこから支払う。
「で、この呪文、何に効く」
「知らん。長さだけで合わせるとこれになるだけ」
「うむ、分かった」
 調査費は結構高額だった。だからこれを渡せば、かなりの礼金がもらえるはず。札の礼が札束として戻ってくる。
 家に戻った妖怪博士はすぐにその男の連絡先へ電話を入れた。
 ところが変化があったらしい。
「対の祝詞説は消えました。対などなかったようです。失礼しました。あの話はなかったことに」とのこと。
 妖怪博士はがっかりしたが、高額の調査費はまだ残っている。報酬として充分だ。
 それに、渡さなかった方がよかったかもしれない。その儀式、何処で使われるのかが何となく分かったからだ。
 
   了
  




2018年12月16日

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