小説 川崎サイト

 

稲荷を探す人


 平沢が自転車で移動していると、追い越していく自転車がある。それが問題なのではない。よくあることだ。その自転車はヤクルトの配達だろうか。これもよくあることで、特に語るようなことではない。問題はその先、その自転車の前に中年の婦人が立っている。
 二人ともオバサンだ。
 何か話している。
 平沢はその横を通り過ぎるとき、会話の内容が聞こえた。
「この辺りにお稲荷さんはありませんか」
 これは広沢に聞くより、町内をウロウロしているヤクルトおばさんに聞いた方がいい選択。広沢は無精髭を生やし、人相も悪い。やはり婦人は婦人同士の方がいいはず。ただこれは偶然ヤクルトおばさんに遭遇した程度だろう。そのお稲荷おばさんは歩いていたようで、立ち止まって聞く相手を待っていたわけではなさそうだ。道行く人に場所を聞く。これもよくあること。
 ただ、お稲荷さんを探している人、というのはあまり聞かない。この近くの人なら、知っているはず。また有名なお稲荷さんがこの街にあるわけではない。地蔵さんなどを祭った祠は結構あるが、お稲荷さんとなると、平沢もこの近くでは思い付かない。だから、聞かれなくてよかったとは思うが、それはこの近くに限っての話。げんにここへ来る道筋でお稲荷さんを見ている。だが、少し遠い。歩いて行ける距離だが、「この近く」に該当しない。
 広沢が見落としている、または思い出せないお稲荷さんがあるのかもしれないと思いながら二人から離れた。思い出せば、すぐに解答を与えられる。
 それで思い出したのが、この先にある商業施設の入り口にある敷地。そこにお稲荷さんを祭っている。しかし、その婦人、そちらの方角から歩いて来たようなので、それではないのかもしれない。
 この近所の人でないとすれば、この婦人、何処から出てきたのだろう。駅からそれほど離れていないが、バス停もある。何らかの交通機関を使ってこの近くで降り、そのあとお稲荷さんを探すため、ウロウロしていたのだろうか。
 駅から一番近いお稲荷さんを広沢は考えた。ただの祠と違い、お稲荷さんは鶏の鶏冠色をした鳥居が付きもの。ただの祠ならお地蔵さんとか道祖神とか、また何か分からない石饅頭とかを祭っている。
 駅近くで朱色の鳥居のある祠は思い出せない。だからない。それで、駅から少し離れたところまで来たのだろうか。残念ながら、該当するものとしては商業施設が管理しているお稲荷さん。だが、元を正せば工場だったところ。これはよくあるパターンで、工場内にお稲荷さんを祭ることがあるし、ビルの屋上にもある。
 それよりも、この婦人、何故お稲荷さんを探しているのか。それが分かれば話が早いかもしれない。
 街中でお稲荷さんを探す理由は思い付かない。稲荷信仰があるとしても、場所も分からないお稲荷さんを探すだろうか。珍しいお稲荷さんなら別だが、何処にあるのかを調べてから来るだろう。
 次は「お稲荷が切れた」だ。これは順序としてはもっと後半で、筆頭ではない。お稲荷を緊急に必要とする何かが起こった。お稲荷なら何でもいい。できるだけ近いところで。
 これは自転車がパンクし、一番近い自転車屋を探すようなもの。または足に豆ができて、薬局かコンビニを探しているとか。
 巻き寿司は残っているがお稲荷は売り切れていた。という話ではない。
 また、急に何かが起こり、お稲荷さんが必要な精神的な事象が起こったとか。
 お稲荷が切れたはいくらなんでも特殊だ。筆頭としてあげられるお稲荷探しはお稲荷さんが目的なのではなく、お稲荷さんは目印。お稲荷さんのある角を右に回って目的の場所へ行くとかだ。これが一番だろう。
 その場所から一番近いお稲荷さんは、先ほどの商業施設。その方角からこの婦人は歩いてきている。だから、そこではなかったとなる。それにそんなお稲荷さんなど目印にしなくても、その商業施設がそもそも大きな目印になる。
 一番分かりやすいのは、この近くに大きなお稲荷さんがあること。それは他所からでもお参りに来るような。それなら分かりやすいが、そんなものはない。
 そんなことを考えながら、広沢は目的地の商業施設に自転車を入れたのだが、駐輪場近くに、そのお稲荷さんがあるので、確認した。施設が管理しているので、綺麗なものだ。商売繁盛などの御利益があるのか、いろいろと行事がある。まあ、工場があった頃は、そこでもやっていたのだろう。
 やはり、あの婦人が探しているのは、ここしかない。この近くで一番派手なお稲荷さんだ。
 ではその方角から来たという謎は解けない。
 これは簡単だった。施設まで一直線ではなく、駅から続く小径が西から、バス停から続く小径が東側から来ている。バス停から来たとすれば、右へ曲がったため、ヤクルトおばさんと遭遇した。駅から来た場合は左へ曲がったことになる。
 確かに施設の入り口に赤い鳥居のお稲荷さんがしっかりとあり、分かりやすいが遠いところからでは見えない。
 商業施設ではなく、お稲荷さんが目的で来た人なのかもしれない。稲荷回り、稲荷巡礼か。
 その施設内のお稲荷さん、少し特殊で、途中で折れた古木があり、また刀のようなものを突き刺したオブジェがある。祠は屋根程度だが、その屋根は古木の上にあり、御神体は古木のうつろの中。だから祠ではない。古木のうつろが祠なのだ。
 だから少し珍しいお稲荷さんで、果たしてお稲荷さんなのかどうかも分からない。
 商業施設になる前は大きな工場。それ以前は村があったといわれている。その時代のものだろう。工場がなくなったので、その敷地内が商業施設になり、一般の人でもお参りできるようになったが、地縁は切れているだろう。
 この婦人、誰かから珍しいお稲荷さんがあると聞いて訪ねてきたのかもしれない。そしてバス停や駅からの道を、曲がり間違えたと解釈すべきだろう。
 
   了





2018年12月23日

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