小説 川崎サイト

 

独り言


「あの温泉は駄目だねえ。ぬるいんだよ。何とかしないと客が減るよ。以前はそんなこと、なかったんだけどねえ。どうかしたんだろうか」
 向こうから来る老人の声。結構よく聞こえる。但馬はもう一度自転車で走ってくる老人を見た。一人だ。耳を見たがイヤホンはない。携帯で話しているわけではない。
 老人は右側から来る。そして交差するとき、顔を見た。丸顔で色艶もいいが、服装はぞんざい。自転車もサビが見える。
 そして目を見るが、何処を見ているのか分からない。但馬と交差する寸前だが、老人の方が先に横切った。但馬の姿が入っているはずだが、目はそこにはない。温泉にあるのだろうか。
 先にやり過ごし、左側へ行く老人をもう一度見ると、まだ話の続きのようだ。今度は居酒屋での人間関係に入っているらしい。
 自転車に乗りながらずっと話し続ける人をたまに見かける。二日前にも見た。決まって目が大きい。それは普段よりも見開いているためだ。
 但馬も独り言を言うが、それは声に出さない。劇中のセリフのような言い方になる。またはナレーターにもなるが、決して声を出さない。だから、独り言を呟いたり、演説をする人は声を止めるのを忘れたのだろう。
 声を出してもいい。しかし聞こえない程度の声。そして周囲に誰もいないときや、騒音で聞こえないときなどに限られるだろう。そういう独り言が言える条件が揃っても、発声にまでは至らない。
 大きな声で独り言をいう人は蛇口が故障してじゃじゃ漏れなのかもしれない。口の栓が壊れたのだろう。
 そしてその顔付きなどから推測して、人とよく話す人が多いような気がする。話すのが好きな人。しかし、相手がいない場合、会話不足になる。
 普段から無口で、会話などほとんどしない人なら問題はないかもしれない。但馬もそのタイプで、むしろ人間関係を避けている。
 人はどんなとき、独り言をいうのだろう。それは頭の中に、それを言わす記憶が回っているときかもしれない。録画を見直しているように、それを音声データーだけで再現するように。
 それと演説、解説タイプがある。過去にあったシーンなどを都合のいいナレーションで語ったり、もの凄く優れた人になりきって解説を始める。
 それが過激になると、演説になる。説教が始まる。ただ会場は自転車の上。車の運転中もあるだろう。密室なので、声が外に出ない。
 また、会話不足なので、それを補うためとは限らないこともある。
 そんなことを考えながら但馬が自転車を漕いでいると、唸り声が聞こえる。何処からそんな声が立っているのかすぐに分かったのだが、前方から来る婦人。これは詩吟だろうとすぐに分かった。練習しているのだ。これなら分かりやすい。
 猿が仲間の結束や、味方同士であることを表すため、毛繕いをするらしい。相手に腹などをさらけ出したりする。それにその距離は危険だが、それを許す。
 人はそんな蚤取りなどはしないが、代わりに会話、しかも世間話、どうでもいいことを話すらしい。これは大事な話では危険なためとか。
 その多くは噂話。会話の原点がそこにあるとすれば、独り言はそこと繋がっているかもしれないが、これは一人でやるのだから、当てはまらない。だから相手がいるように想定して話し出す。独り言は独白。自分自身に話しかけているようなものだが、先ほどの独り言老人は誰かに話しかけているのだ。相手がいる。
 但馬はたまにそれを聞くことがあるのだが、やはり口の栓が緩んでいるとしか思えない。だが、どうして緩んだのか、または緩めてしまったのかまでは知らない。
 相手を想定しての独り言。だから本人は独り言だとは思っていない。相手がいるのだから。
 しかし、そんなことを考えながら但馬は論説委員にでもなったように、全国に向け、その説を披露し始めた。これには但馬も気付かない。
 前から来る人が気味悪そうな顔で彼を見たが、当然、他者の目など眼中にない。
 
   了
 



2018年12月26日

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