小説 川崎サイト

 

幻の新年


「新年は明けたのかね」
「もう十日立ちますが」
「そんなになるか」
 倉田氏は大晦日から離れにいた。そこで新年を迎えようと、年が変わるのを待っていたのだが、うとうとし始め、そのうち目が覚めたが、まだ夜。まだ年は明けていないと思った。
 離れは庭の繁みの中にぽつりとあり、昔はここで宴会などをやっていた。
 今は誰も使っていないが、ちょっとした客が来たとき、泊まってもらうことにしている。朝方まで飲み明かすような客は希だが、以前親しくしていた男がおり、彼が来るのを楽しみにしていたものだ。古い友人だが、今は消息がない。突然消えたようにいなくなった。
 最後に見たのは朝方。彼はそのまま眠ってしまったので倉田氏は母屋に戻った。そしてそれが最後になる。またそのときは気にも留めなかったのだが、いつの間にか帰っている。挨拶もなく。これは倉田氏がまだ寝ていると思い、そっと帰ったのだろうが、家人に聞いても、出ていくところは見ていないとか。
 勝手口は内側からなら開くので、そこから出たのだろう。
 さて、明けるのを待ちながらうたた寝から起きた平田氏は一度母屋に戻り、夜食を食べていた。こんな時間まで起きているのは久しぶり。そのとき、使用人に聞いたところ、年は既に明けて十日目だという。その間、ずっと離れにいたのだろうか。何も食べないで。また、家人が様子を見に来るだろう。十日も離れから出てこないのなら。
「元旦の日、私は何をしていた」
「いつものように挨拶を受けていましたよ」
「客は多かったかね」
「いえ、例年通りで、いつもの人達です」
「今日は十日だな」
「そうです」
「昨日は何をしていた」
「お仕事で外に出ておられましたが」
 まったく思い当たらない。十日ほどの記憶が飛んでいるのだろうか。
 年が明けようとする直前、うたた寝をしていた。その手前までの記憶はある。最後は旧友のことだ。ここから消えたようにいなくなったこと、など。
 それと関係しているように思われた。
「私は今まで何処にいた」
「離れにおられましたよ」
「それはいつだ」
「先ほどまでです」
 では十日間、ずっと離れにいたことになる。しかし、その間、年賀の挨拶を受けたり、昨日などは外に出ている。何処かで二つに割れたのか、または単に記憶が十日間だけ消えたのか。
「もう遅いので、お休みになられては」
「そうだな」
 本来なら年が明ける時間。しかしそれは十日前。
 こんなことがあるのだろうかと、倉田氏は驚くが、誰もそのことに気付いていない。十日間の記憶は消えているので、繋がりは悪いが。
 家族はもう寝てしまったようだ。遅いので、そんなものだろう。
 先ほどうたた寝をしていたので、眠くはないが、何故急に旧友のことを思い出したのだろう。きっとあの離れで飲み明かした頃が楽しかったようだ。
 そして、起きていても仕方がないと思い、既に家人が敷いたのだろう。夜具の中に入ろうとするとき、ゴーンときた。
 除夜の鐘ではないか。
 年が明けて十日目のはず。
 翌朝、倉田家では例年通りの新年を祝う集まりがあった。十一日の朝ではなく、新年の朝に戻っている。
 倉田氏の記憶から消えた十日間。記憶以前に、まだそんな日は来ていなかったのだ。しかし、使用人は今日は十日だと言っていた。
 倉田氏は混乱した。
 そして正月会の末席に、あの旧友がいた。
 しかし、すぐに姿が消えた。
 倉田氏は、あの友は既に亡くなっていると確信した。妙な神秘癖のある男だったので、今回の変事は、彼があの世から悪ふざけでもしていたのだろう。そう思うことにした。
 
   了

 




2019年1月3日

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