小説 川崎サイト

 

夜歩く

川崎ゆきお

 

 ノック音。
 梅田は無視する。
 再びノック音。
 どうせ新聞の勧誘だろうと思い、梅田は開けない。
 最近、いきなり訪ねて来る客などいない。
「梅田さん。用事や」
 声の主はこのワンルムのオーナー。
 梅田は渋々ドアを開ける。
「あ、来月まとめて払いますから」
「今日はそれやない。一寸頼みがあって来た」
「何でしょう」
「立ち話も何や、一寸上がらせてもらうぞ」
「あ、散らかってますが、どうぞ」
 梅田は家主が座れる場所を作る。
「かなり、ひどいなあ。出るとき保証金なしやぞ」
「あ、はい」
 家主は缶コーヒーをジャンパーの両ポケットから取り出す。
「どうせ、お茶なんか沸かしたりせんやろ」
「はい、流し台が汚れますから」
「保証金返却なし。ステンレス流し台穴開けてたら弁償やぞ」
「はい、覚悟は」
「まあ、夜逃げだけはせんといてくれな」
「そんな勇気は…」
 家主はパチンと缶コーヒーを開ける。
 梅田は手榴弾の安全ピンを抜く仕草に似ていると思った。
「話というのは他でもない」
「はい」
 梅田はどきどきした。
「頼み事、聞いて欲しいだけや」
「それは僕に関わることですか」
「そうやない」
 梅田はほっとして、缶コーヒーを握った。
「調べて欲しいことがある」
「あ、探偵ですね」
「それそれ、あんたのそのセンスや。調べ事と聞いて探偵とくる。この呼吸が分かる男と見込んでの頼み事や」
「どんな事件ですか」
「まだ、起こっとらんけど、物騒な話や」
「物騒…それは警察に言ったほうがよいのではないですか」
「言うた」
「では、警察が何とかしてくれるでしょう」
「警察はなあ、事件や事故が起こらな動きよらんのや」
「それでは遅いですね」
「不審な人物がうろうろしとる」
「よくある話ですね。僕も、すぐに検問に引っかかります」
「あんたのことは、ええから、話を聞け」
「はい、聞いております」
「よし」
「で、どんな」
「要領を得ん」
「難しい事件なんですね」
「いや、どこから話せばよいのか、困っとる」
「適当に喋って下さい」
「あんたみたいな物分かりのええ人間が何で働きに行かんのやろなあ。きっとええ部下になると思うで」
「僕のことは、いいんでしょ」
「そうやったな」
「では、始めて下さい」
「うん、実はなあ。夜中に妙な人間がうろうろしとるらしい」
「妙な人?」
「三人か四人。徒党組んで、うろうろや」
「それは青少年のタムロでしょ。コンビニの前に集まったりとか…」
「若いことないねん。目撃者の話ではお年寄りらしい」
「夜中に老人がタムロですか」
「そうらしい」
「一人なら徘徊老人。事件でも何でもありませんねえ」
「そうそう、一人やったらな。ところが三四人や」
「三人か四人、はっきりしないのですか」
「二人以上やろ」
「はあ」
「でも、四人以下なんですね」
「そうや」
「これは自治会に任せたほうがよいのでは」
「自治会から頼まれたんや」
「自治会の見回り組とかはないのですか」
「ないない。昔はあったみたいけやけど、今は町内会組織も名ばかりや」
「集会所みたいなのが、あるやないですか。立派な」
「あれは、管理してるだけや。建物のな」
 この地区は住宅地で、他から来た人が殆どだ。そのため共同体としての結束は強くない。
「相手が老人やったら、老人クラブとか福祉団体とかは?」
「あんた、嫌がってるのか?」
「聞いてるだけです。探偵ですから」
「ていよう断るのやったら、家賃の話をこれから始めるけど、どや、ええか!」
「引き受けますよ。だから、安心して答えて下さい」
「老人クラブも福祉団体もあるけど、全部有料や。自治会とは関係ない」
「PTAとか婦人会とか子供会とかは?」
「妙な質問やなあ。相手は老人やで」
「ですから、不審者対策で人手が必要でしょ。町内の組織が必ずあるはずです」
「近くに小学校があるけど、それは登下校時には保護者も出てくれるやろけど、夜中に主婦が見回りできんやろ。子供会はない。子供も忙しいのや。集めて何かしようとしても、参加者おらんから解散した。かなり前の話らしいで」
「すると、自治会直系の兵はおらんのですね」
「今年の自治会長はんはマンション建てるときに世話になったから、わしも断り切れんのや。何とかしてくれと。ここやったらワンルームやから動ける若い衆おるやろと言うこっちゃ。ところが、夜中に見回りしてくれるような人はあんただけや。みんな会社行っとるからな」
「結局どうしたらよろしいのですか?」
「まあ、調べてくれと言うことやから、調査だけでええねん。その老人達が何をしてるか程度のな」
「分かりました。ちょうど夜型に突入してますから、深夜でも動けます」
「わしの見込んだ男だけある。流石や」
「はい」

「気持ち悪いの一言ですわ」
 建て売り住宅に住む主婦が訴えた。
「夜中に、お手洗いに立ったとき、表で声がしてますのや」
「トイレで、表の声が聞こえるのですか?」
 主婦の松原真智子は嫌な顔をした。皮肉と受け取ったのだ。
「庭があるし、塀もありますからね。お手洗いの横がすぐ表の道と接してるわけではないのよ」
 真智子が庭と述べた場所は余地で、母屋と安っぽいブロック塀に挟まれた空間だ。昔なら犬走りとか汲み取り口とか呼んでいたが、今は汲み取り屋も犬も走らない。
「待ち伏せてやっつけたとか…そんな会話を耳に挟みました」
「待ち伏せ…」
「物騒なことが起こってるのよ。うちの近くで」
「もう少し詳しく」
「ここで待ち合わせてやっつけた…やったかなあ。そんな会話ですよ。誰か被害者が出たはずですよ。だから、警察とか自治会にお伝えしたんです」
「老人だったのですね。表にいたのは」
「向かいの二階から敏夫君が見ていたらしいです。お年寄りが数人。塀のところで集まっていたのを」
「それは何時頃でした?」
「一時過ぎやわ」
「いつのことです?」
「一週間前」
「で、その後、現れましたか」
「そんな時間寝てるから、分からんけど、敏夫君が何回か見たと言ってるわ」
「その敏夫君は?」
「井上敏夫君で中学受験で遅うまで起きてるみたいや。受かったら大学までもう受験の心配ない。有名私大付属やから危ない子がおらん中学やしな。敏夫君なら受かるんと違いますか。賢い子やから。滑ることは絶対にないはずや。賢い子やから。親も安心ですやろなあ。賢い子やから」
 梅田は、あまり賢い子だとは思えないような印象を受けたが、単純に頷いた。

「四人?」
「うん、四人のお爺さんみたいな」
 小学六年の井上敏夫は、今時の子供にしては古風な顔立ちだ。丸坊主にすれば、大正時代の少年にすぐに戻れそうだ。
「見たのは一度だけ?」
「何回も見たで」
「何回?」
「五回」
「では、毎晩?」
「三日に一度ぐらいかな。寝てしまってるときは分からんけど」
 勉強机が窓際にあり、椅子に座ると、すぐ右側が硝子窓だ。
「この位置やったら外からも見られるなあ。君の姿」
「見られても、何ともないやんか。狙撃されるわけやないし」
「勉強してる姿を町内の人に見てもらう感じかな」
「さあ、それはないけど、外が見えんと窮屈やから」
「外で遊ぶようこともないから、出てもしゃあないか」
「うん。遊び相手もおらんしな」
「ここから会話は聞こえるか?」
「ちょっとは聞こえるで。窓開けたら、もっと聞こえる」
「その四人の老人、何を喋っていたか分かる?」
「待ち伏せて、やってしまうたとか。釘でさしたとか…」
「毎回そんなこと、言うてるのか?」
「二回ほど聞いた」
「三日に一度は、あのブロック塀の前でタムロしてるのか?」
「立ち止まったのは二回ぐらい見た。あとは、歩いてるところを見ただけや」
「三日に一度は確かか?」
「確実やない。見張ってるわけやないし」
「そのお爺さん達に見覚えは?」
「ない」
「どんな服装や?」
「よう覚えてないけど、普段着かも」
「そのお爺さん達の噂を聞いたことは?」
「ない」
「夜中にうろうろしてる老人グループ。妙やんか。話題になったりせんの? 学校とかで」
「そんな変な話はせえへん」
「そっか」

「どや、犯人は分かったか?」
 家主は入って来るなり梅田に聞く。調査依頼後三日経過していた。
「その後、夜中に見張ってましたが、現れませんでした」
「根性入れてくれよ」
「入れてます。探偵ごっこは楽しいから」
「今日日の子供は探偵ごっこ、せえへんなあ」
「危ないですからね。交通事故に遭いそうで」
「それで、分かったところまで報告してくれ。自治会長にそれを報告せなあかんから、中間報告でええから」
「この町の四方は、また町です」
「なんじゃそれ」
「どこまでがこの町で、どこからが別の町なのかの境目がはっきりしてません。だから、ここの自治会だけの問題では収まらないかも」
「どういうことや?」
「どこからでも入り込めるでしょ。もし、違う町の人が来て、うろうろしてるのやったら、規模が大きなるなあ。と、感じただけです」
「そんな感想はええ。分かったことだけの報告でよい」
「老人が四人。歳は分かりません。確認した目撃者は一人だけ。それも小学生。子供から見て、どの年代から上が老人なのかは分かりにくいかも」
「細かいことはええ」
「物騒な話を小学生が聞いてます。釘をさしたとかの新しい発見です」
「分かった!」
 オーナーは膝を叩いた。
「犯人は老人やない。老人になりすました不良グループや。中学とか高校の抗争事件や」
「そんな時代ではないと思いますが」
「敵の番長を待ち伏せて、釘をさした。このさしたは、本物の釘やのうて、うちの縄張りに来るなとか言う釘をさしたや」
「でも、何でもない住宅地の私道ですよ。やっぱり土手とか引き込み線がある原っぱとか、工場の裏とかが相応しいように思えます」
「結論を急ぎたい。電話がかかってくるんや。ちゃんと答えんと、あの自治会長うるさいねん」
「ブロック塀の家と小学生の家がある道は本当に何もない場所です。真っ直ぐ行くと車が通れない突き当りに出てしまう。分譲住宅地の私道です。集団徘徊にしても、見るべきものがない」
「あんた、調査不足や」
「まだ、三日目やないですか。急ぎすぎです」
「事件が起こってからでは遅いんや」
「どんな事件?」
「それを、あんたが調べるのや」
「はいはい」

 梅田はその夜も町内を探索した。
 梅田自身も不審者と見られる風貌だ。
 無精髭は無職者の証のようなもの。
 しかし、自治会からの依頼というお墨付きがある。
 自治会長に老人グループの苦情を言ったのは、まだ一人だ。
 主婦の松原真智子。
 トイレから老人達のひそひそ話を聞いている。それで薄気味悪くなり、不審徘徊者の第一報を自治会長に伝えている。
 目撃者を疑え…とも言う。
 しかし、その向かいの中学受験生井上敏夫君は生で目撃しており、松原智恵子の作り話ではないこと、また、老人達は知らない顔との敏夫君の証言もあることから、少なくても松原家の老人ではない。
 老人が夜中、遠方からやってくるとは思えない。この近くの老人だと見たほうが分かりやすい。
 梅田は、松原邸のブロック塀を遠くから見張ったが、行き交う人もなく、そこに立っていること事態が迷惑になると考え、他を当たることにした。
 そのとき、井上家の二階を見ると、青色のカーテンが明るく浮かんでいた。敏夫君はまだ起きているようだ。
 梅田はコンビニに寄り、弁当を買って引き上げた。
 
 昼過ぎ、家主の電話で梅田は起こされた。
 自治会長宅へすぐに行くようにとの命令だ。
 自治会長宅はこの辺では見かけないような建物だった。土塀で囲まれた大きな家で、時代劇に出てきそうな門構えだ。
「また通報がありましてな。犬を散歩中の木下はんが見たらしいんや」
「何か緊急ごとですか」
「二人目や言うことや」
「うろうろしてるので、目撃者も増えるんでしょうね」
「そういうこと自治会に言われてもなあ」
「警察に通報するのが妥当では」
「警邏中の警官に伝えたけど、らちがあかん。それに誰やねん、あの警官。わしも顔見たことないぞ。どこから来よるのかなあ、あの警官。駐在やない。不審な警官や」
「派出所とか交番はないのですか、この町内」
「以前は駐在所があったんやけどなあ」
「パトカーや警官のバイク、よう見ますけど」
「見回ってくれるのはええけど、毎回違う人やねん。名前も知らんぞ。前の駐在やったら、子供の名前も知ってるねんけどなあ」
「で、僕にどうして欲しいと?」
「通報がないように、早いこと解決してくれ。警察は動いてくれへんねんから、自治会でやるしかない」
「動けるのは僕だけですか」
「深夜やからなあ」
「会長さんは四人の老人に心当たり、ありませんか」
「そんな、うろうろする老人は知らん」
「何か理由があるはずです」
「それを調べるのが君の仕事や。えーと、名前は?」
「梅田です」
「家賃溜めるからや」
「はい」
「まあ、解決してくれたら、私のほうからも礼するから、頼むで」
「探偵は嫌いやないですから」

 梅田はその足で犬の散歩者宅を訪れた。
 箕田達義。初老の男で小さな犬を飼っていた。夜中に散歩へ行く癖が愛犬についてしまい、箕田はそれにつきあっている。既に定年退職しており、暇な日々を過ごしているらしい。
「毎晩犬の散歩でしたら、これまでも、その怪しい老人集団を見ているでしょ?」
「犬の行く方向が気になって、連中のことなんか気にならんかった。何回か見たような気はするけど」
 下手なパトロールより、よほど役に立っているかもしれない。毎晩夜警に出ているようなものだ。
「いつ頃から見るようになりました?」
「さあ、数週間ほど前からかな。たまに見かけるけど、何かの寄り合いの帰りかなあと思う程度で…それより最近愛ちゃんが下痢気味でなあ。それどころやあらへんねん」
 愛ちゃんは愛犬の名前らしい。
「昨晩のことや。愛ちゃんがいつもトイレする場所で気張ってたから、ワタイもしゃがんで見てた。そこに四人ほど人が話しながら来て、ワタイと愛ちゃんのすぐ側で立ち止まりよった。ほんの数分やったけど。放火したとか言うてるねん。愛ちゃんの下痢も心配やけど、放火は聞き捨てならんやろ」
「放火ですか?」
「この近所で火つけられたら、ワタイの家も危ないやんか。それで自治会長はんにお知らせしたんや」
「放火した…ですか。過去形ですねえ。で、その場所、何か燃えた跡でも?」
「何もありまへん。別の場所かもしれまへんなあ」
「その場所、教えてもらえますか」
「あんたは消防団か? 青年団か?」
「そんな組織はこの町内にはないようです」
「ワタイも三年前に家買って超してきたばかりやから、この町の様子、よう分からん。ノペーとした町でんなあ」

 梅田は箕田達義から教えてもらった場所に立った。
 周囲をじっくりと観察していると、ピシャリと遠くで音がした。その方角を見るとピシャとカーテンが閉まり、窓はピンク色に変わった。
 小さない石を積み上げた塀が続く場所で、燃えにくい場所だった。
 箕田達義が立ち聞きした場所は、その石積み塀が途切れる細い路地の入り口で、隣家と僅かばかりの隙間がある余地だった。この余地が一戸建てを示している。
 その余地はすぐに行き止まりになるため、道の体をなしていない。
 梅田は眠くなったので引き上げることにした。
 
 目覚めると深夜の入り口だった。
 カップうどんを食べ、外に出た。
 こんな食事ばかりしていると体を壊すことは承知しているが、家賃が払えないほど貧窮している。体調が悪くなれば、寝て治すしかない。その時間は十分ある。
 二日目の夜回りで、ようやく老人集団の姿を発見した。
 逃げも隠れもしないとばかりに歩いている。確かに遠目からもお年寄りであることが分かる。背が低いこと、杖をついている姿もある。
 時間は深夜の一時過ぎ。普通の人なら眠っていないまでも、外に出ることはまずない時間だ。
 確かに深夜でもコンビニやファミレスは開いている。うろうろしている中高生は珍しくないが、老人集団は不気味だ。
 分別のある年長者のすることではない。これには理由があるはず。その謎を解明するのが梅田の仕事で、家主への義理も立つ。
 住宅地の道は明るい。全ての電信柱には街灯がつき、交差する場所は水銀灯でさらに明るい。
 深夜でもこの状態なら尾行は楽だ。
 老人達は、ゆっくと歩いている。四人が並んだり、二列になったり、三列になったり、
一列になったりと、目まぐるしく変わる。
 話し声は聞こえるが、何を喋りあっているのか、言葉までは聞き取れない。
 たまに、笑い声がする。
 一人が言ったことで受けたのか、大きなジェスチャーを返している。元気と言うより、はしゃぎすぎる年寄り達という感じだ。
 仲の良い友達同士の印象で、子供や孫の前では決して見せることのない喋り方や仕草だろう。
 老人達が立ち止まった。
 梅田は街灯の死角となる場所に身を隠した。この場合、怪しいのは梅田のほうだ。
 四つ角の水銀灯がはっきりと四人の姿を浮かび上がらせる。
 一人が路上のどこかを指さした。他の三人はその方角を見ながら、笑ったり、頷いたりした。
 そしてまた歩き出す。
 人通りのない一般道路での尾行は気付かれやすい。しかも深夜、人がそこにいるだけで注意を引くだろう。
 尾行する梅田も気が気でない。相手に気付かれないようにすると同時に、尾行姿を人に見れれたくない。深夜とはいえ窓の明かりは灯っており、窓から見られるおそれがある。
 四つの人影は右に曲がったり、左に曲がったりしながら、ゆっくり移動する。たまに立ち止まり、また移動。
 住宅街の道から路地に入り込み、また出てきたとき、梅田は泳ぐように暗闇に身を隠す。しかし、何度もそんなことをしていると嫌でも気付かれる。
 既に気付かれているかもしれない。
 しかし、反応はない。
 尾行されても構わない連中なのか。
 または、気付いているのに、とぼけているのか。
 四つの影は狭い路地に入っていった。
 梅田もその路地に入ろうとしたが、行き止まりで戻ってきたとき、鉢合わせになる危険度を考え、入り口付近で待機した。
 しかし、彼らは引き返してこない。
 梅田は路地に少しだけ踏み込んだ。流石に街灯はなく、窓明かりもない。
 彼らの話し声も聞こえないので立ち止まっていないのだ。梅田は路地の奥へと進んでいった。
 その路地は下水の蓋だった。路地ではないのだ。建物の敷地と敷地の間にあるドブだ。そのドブに蓋をつけ、通路のように見せかけている。
 たまに、嫌な匂いがする。
 足下がガタガタ動くのはコンクリート製のドブ板の上を歩いているためだろう。
 その通路を抜けると、車が行き交う道路に出た。
 道路の向こうは隣町になる。
 梅田は左右を見た。
 老人達は左側の歩道を歩いていた。
 バス道だろうか。停留所がある。
 まさか、深夜に市バスは走っていないと思う。
 そのバス停の先に横断歩道があり、四つの影が渡っていく。
 横断歩道の向こう側に煌々と輝くネオンがある。ファミレスの看板だ。

 店内は若い人達で満ちていた。
 老人達のテーブルはすぐに分かった。
 梅田はそのテーブルの近くに席を取り、ドリンクバーを注文した。
 もし尾行に気付かれているならば、何か言われてもよい距離だった。
 梅田はドリンクバーに立ち、戻るときに老人達の顔を見渡した。何か言ってくれ…とばかりに。
 しかし、反応はない。
 しばらくすると、注文したビールやポテトチップスが運ばれた。
 愉快そうに話す老人達の声は若者よりも大きく、元気だった。
 若者、いや、それよりも年代の低い世代の声であり、語り口のように思えた。
 しかし、周囲のざわめきで、言葉を聞き取れない。
 梅田は老人達のテーブルへ笑顔で近づいた。一気にここで、勝負に出たわけだ。
「何の集まりですか?」
 梅田の登場で四人は一瞬止まった。
「面白そうな集まりなので、もしよければ聞かせてもらえませんか」
 老人達は顔を見合わせた。
「あんたも興味があるのか?」
 真っ白なチョビ髭が言った。柔らかい歯ブラシのような髭で、リーダーのようだ。
「是非聞かせて下さい」
 チョビ髭は残りの三人に目配せする。首を振る者はいない。
 チョビ髭はテーブルのボタンを押した。
 突っ立っていた梅田は、すぐ横にある椅子をテーブルに寄せた。カップルが占領しているテーブルの椅子だが、二人の世界に入り込んでいるようだ。
 注文を取りにきたウエイトレスにチョビ髭は中ジョッキを追加注文した。
「早速ですか、何をなさっているのですか」
「私らは古代史を歩くグループですのや」
「古代史?」
「私らの古代史ですよ」
 梅田は話せば分かる連中だと思った。むしろ、話したがっている連中なのだ。
「古い地層がありますのや。もう一つ下の階層のな。その階層に私らは昔住んでいたのですよ。もうその地層を掘り起こすことはできんようになったけど、その上は歩けますのや」
 梅田は、彼らがゲームに出てくるドワーフのように思えた。地下に住む穴掘りの好きな種族だ。しかし、この住宅地の下に穴を掘っても何も出てこないと思うし、そんな地下ダンジョンがあるとは思えなかった。
「イタチを知ってますかな?」
 チョビ髭は、その髭を撫でながらにこやかな顔で質問した。
「たまに、ぱっと前を走り去るのを見たことあります。夜中とかに」
「イタチにはイタチの世界がありますのや。床下すれすれの世界に住んではる。カラスや雀も独自の高さの世界に住んではる。それらは具体性がありますけどな、私らがたまに訪れる世界は気持ちの世界なんですよ」
「古代史って、何ですか? この町内に古代遺跡とかあるのですか」
「私らは、もう年寄りや。子供時代は古代史ほどに遠い世界なんや。その遺跡巡りをする集まりですがな」
 梅田の疑問はほぼ解明した。
「ここは、みなさんが子供の頃はどんな感じだったのですか?」
「見渡す限りの田んぼやったなあ。農家がちょんちょんとある程度や。このファミレスなんか村はずれの荒れ地やった。石材置き場とかになってたかなあ」
「いや、ここはイチジク畑やったぞ」
 座頭市が持っていそうな杖を弄りながら、ジャージ姿の老人が正す。
「ここへ来るのは怖かったからなあ。冒険やったぞ。隣村の連中と鉢合わせすることになるからなあ。目を合わせたら戦争や」
「あの戦争は凄かったなあ。リヤカー改造した戦車みたいなのに乗って攻めてきましたなあ。わしらは畦道に落とし穴掘って、待ち伏せて、やってつけた」
 正ちゃん帽の老人が口を挟んだ。
 待ち伏せの話はこれで解明した。
 梅田のビールが来たので、改めて乾杯となる。彼らは友好的だった。
「たき火とかもできた時代ですね?」
 ちょうどこの季節は芋をたき火に投げ込んだ。真っ黒になって、炭みたいな皮になってなあ」
 と、語りながらチョビ髭は目を細めた。
 放火について聞き出したいと梅田は思ったが、うまく誘導できないので、直接聞いてみた。
「火付けか、うん。そんな悪さもした奴もおったのう。納屋が燃えたことある」
「納屋?」
「田んぼにある農具を保存する小屋や。西畑のサブちゃんの仕業や。私ら知ってたけど、黙ってた。村のもん、西畑をいじめるから息子に悪さされるんや」
 放火問題も解明した。
 次は釘でさすという際どい事件について梅田は聞いてみた。
「火の見櫓の下で、よう釘さししたなあ」
「釘さしとは何ですか?」
「五寸釘を地面に突き刺す遊びや。さしたところと、次にさしたところを釘で線引くんや。四人ぐらいでやると面白いぞ。次の奴がさせんように、狭いところ狙って線を引くんや。線の外にさしたらアウトや。線に囲まれた中側をさすんや」
 梅田は説明を聞いても、その遊び方が理解できなかった。
「失敗して自分の足さすこともあったなあ」
 人を釘でさしたのではなかったのだ。
「みなさん、この辺に住んでいるのですか」
「ああ、もう農家のまま残ってる家は自治会長の家ぐらいかな。私はタクシーで、ここに来とる」
 他の三人も、この町にはもう住んでいないようだ。田畑を売り、出て行ったのだろう。
 梅田は自分が借りているワンルームのオーナーについて聞いてみた。
「外から来た人やろなあ」
「自治会長は?」
「あの人は養子はんやから、子供時代は知らん。あそこのおばあちゃんは知ってるけど、もう亡くならはった」
 チョビ髭はしんみりと語る。
「もう、ここは私らとは関係のない土地になってしもとるけど、古代史の世界は生きとるんや」
 梅田は集中して聞いていたので、ビールを飲むのを忘れていた。
「頂きます」
「ああ」
 梅田は喉が渇いていたので、猫が喉を鳴らすように飲んだ。
「この時間になりますとな。暗いし、静かやしで、昔のこと懐かしめますのや。三日に一度はここに集まって古代史探訪してます」
 梅田は自分も年をとれば、このグループのように古代史探訪をする気分になるのかもしれないと思った。
 その後も雑談は続き、梅田も加わって、田園時代の昔話で盛り上がった。
 ふと、梅田は最初に座った場所に目をやると、飲みさしのアイスコーヒーがぽつんと残っていた。
 
 二日後、こそ泥グループが捕まったと新聞の片隅に載り、テレビニュースでも報じられた。
 容疑者達は犯行を否認していた。

 梅田は二日ほど眠りこけていたので、何も知らない。

   了
   

2004年2月4日

小説 川崎サイト