漫画原稿依頼
白根は漫画家志望で地方都市に住んでいる。プロになろうと懸賞とかに応募したのだが、佳作にも入らない。それで、懸賞ではなく、直接編集部に投稿した。
白根には仲間がいる。同人会だ。いずれもプロ志望者だけの集まりなので、同人誌は作っていない。自分で印刷するのではなく、原稿は印刷されるもの。印刷して貰うもの。だから自費出版はしていない。その仲間はライバル同士で、まだ誰もプロにはなっていない。それ以前に雑誌にも載ったことがない。
ライバルなので、競い合っている。
白根はその夕方、もう暗くなりかけているとき、駅前に出た。ネオン看板が多くあるのは飲み屋街のためだろう。駅近くにある喫茶店で待ち合わせることになったのだが、これはまだ仲間には秘密にしている。
先日電話が掛かってきた。新聞社だ。勧誘ではない。新聞社が出している週刊誌からの依頼なのだ。
そういえば、使い回しの原稿を方々に投稿しているので、それで引っかかったのかもしれない。漫画雑誌ではなく、いきなり週刊誌。原稿料がいいだろう。漫画雑誌の編集者の目は肥えており、敷居は高いが、新聞社系は専門の漫画編集者はいない。素人なのだ。
東京からわざわざ地方都市まで編集長が来る。これだけでも、天に召されたに近い。
しかし、期待は禁物。別の用件かもしれないが、電話では確かに原稿の依頼と聞こえた。空耳ではない。しっかりと聞き取った。
喫茶店のドアを開け、編集長を探す。それらしい客は座っていないが、かなり早い目に来たためだ。
そして約束の時間を過ぎても、それらしい人は入ってこない。さらに待つが、来ない。
電話番号を聞いていなかった。嬉しさのあまり、すぐに切ったためだろ。部屋電話には着信履歴はないというより、その機能がない。
しかし、東京の編集者が地方都市の駅前にある喫茶店の名をよく知っていたなと、少しだけ疑問に思う。この近くの出身かもしれないし、またこの町に来たときはよく利用しているのかもしれない。
週刊誌の編集長だが、新聞記者時代もあったのだろう。
しかし、一時間を経過したとき、別のことを考えた。
喰わされたと。
電話の声をもう一度思い出した。こんなことをやるのは同人会の田中だ。
悪い悪戯をするものだが、引っかかるとは思っていなかった。しかし、そのときは真に受けた。逆にそれが恥ずかしい。
その後、同人会の集まりでも、そのことは黙っていた。そんな依頼が来るのがそもそもおかしいので、第一声を聞いたとき、すぐに見破れたはず。本来ならこの冗談、そこで終わっている。
田中にしてやられたので、白根は仕返しをしてやろうと、東京で有名漫画家のアシスタントをやっている先輩に頼んで、出版社の小封筒を探してもらった。
田中の元へ講談社の封筒が届き、原稿依頼の件が書かれていた。そして打ち合わせ場所も、あの喫茶店。
田中は時間前にやってきて、待ち続けた。
白根は田中からは見えない席からじっと覗いていた。そして一時間ほどで田中が立ち上がったとき、すっと姿を現した。
「あいこだね」
「あ、やったな」
「これ、漫画にしたら入選するかも」
「しない」
了
2019年1月27日