小説 川崎サイト

 

あらっ


「今日も過ぎていきますなあ」
「はい、昨日と同じように」
「少しは違うでしょ」
「寛容範囲内です」
「しかし、その少しの違いや差が大事ですぞ。あまり日常に変化がないのなら、そこに目を持っていくしかなかでしょ」
「なかですか」
「昨日との僅かな違い、ここに何かある」
「何もないですよ。あまり影響はありません」
「いや、表面的には僅かな違い、僅かな差であっても、その裏で動いているものがある。その動きを見ることです。差をミリ単位で見ても何も出てきません。差となる理由のようなものや背景を見るのです」
「微妙な話ですねえ」
「物事を動かしているものがあるはず。それは小さいも大きいもない。ここですよ。ここ」
「それで何か良いことでもありますか。知ったからといって大した違いはないでしょ」
「この世の不思議を垣間見ることができるかもしれませんよ」
「それは娯楽ですねえ」
「そうです。楽しみです。これは趣味の問題でしょ。何かを成すのではなく、何がそれを成させているのか、またはその流れなどを観察するのです」
「ほう」
「これで自分自身の認識も変わってきます」
「それはいいのですが、何を見るわけですか」
「一番最初に言ったでしょ」
「忘れてしまいました」
「だから、僅かな差を見るということです」
「ああ、思い出した。昨日のように今日も過ぎてゆくってことが始まりでしたね」
「そうです。そして決して同じじゃない。少しは差がある。違いがあると言ったでしょ」
「それで、何を見るのですか」
「違いです」
「起きる時間が五分ほど遅かったです。これも違いといえば違いですが、いうほどのことじゃないでしょ。だから、誤差範囲だと。もの凄く遅く起きてきたのなら別ですがね。それでも、まだまだその差が問題になるようなことじゃありません。寝坊して仕事に遅れたとしても、まだまだよくあることの範囲内でしょ」
「蓋も身もない」
「身も蓋もないでしょ」
「ああ、そうでした」
「そういう言い間違いも、違うと言えば違いますねえ」
「いや、それは記憶が曖昧だっただけです」
「それだけですか。言い間違いの中に本音があると聞きますよ」
「この場合、私は物知りだと言いたかったのですよ。しかし、間違えれば逆になりますがね」
「ということは日常の中の僅かな差とは、自分自身の何かを観察しているということですか。自己管理とか」
「いや、そうじゃなく、内を見るのではなく、外を見るのです」
「でも、夕食で食欲がないときなど、確かに違いはありますよ。いつもの夕食の食欲ではないと。しかし、原因は間食したからです。これはどう解釈するのです。間食で終わるでしょ」
「じゃ、何故間食したのですかな」
「昼ご飯を簡単に済ませたためです」
「どうして」
「朝、食べ過ぎたからです」
「どうして」
「夕食の残りが多くありましたので、早く食べないと腐るので、もったいないので、沢山食べました」
「何故、夕食のおかずが残ったのですか」
「買いすぎたからです」
「なぜ」
「え、特価で安かったからですよ」
「なぜ」
「だから、それはスーパーの都合でしょ。それと、偶然そのスーパーへ寄っただけで。これも毎日同じところでは買っていないので、偶然といえば偶然ですがね」
「何故、そのスーパーへ寄ったのですか」
「え」
「ああ、もうきりがない。追跡はもう辞めます」
「ただの偶然ですよ。おかずが重なったり、少なすぎたり、多すぎたりと、ばらつきがあってあたりまえでしょ。特に理由などないのです」
「でも、僅かな気持ちの違いとかがあるでしょ。昨日と同じような出来事しかなくても」
「そちらへ来ますか。うーん、それは体調の影響が大きいですねえ。それと楽しみが終わってしまい、次の楽しみがくるまで、少し間が空くときとか」
「差を見出すべきです」
「だから、見ても、それぐらいのことしか出てきませんよ。時期とか、体調とか、天気とか、そういう変化で、少しは影響が出る程度です」
「あなた、例が悪い。もう少し質の高い深掘りができる差の例を出さないと」
「それは漠然と思うものでしょ」
「漠然と」
「言葉になる手前の、あれっとかあっとかあらっとかおやっとか」
「言葉堀りでは掘れない領域ですかね」
「おそらく」
 
   了

 


2019年2月7日

小説 川崎サイト