小説 川崎サイト

 

黄泉の口


「神も仏も人の中におる」
「ほう」
「神も悪魔も人の中におる」
「では仏も鬼も人の中におわしますか」
「いかにも」
「で、人の中とは」
「奥底よ」
「何の」
「心の」
「ああ、善いものも悪いものもいるわけですな」
「まあ、それを分かりやすい形にしただけ」
「実際はそんなものはいないと」
「まあ、投影のようなもの、想像上のもの。これは心から出た絵じゃ」
「絵空事のようなものだと」
「あると便利だからの」
「しかし、心の中の、どのあたりに神や悪魔がいるのですか」
「奥の方」
「奥」
「そこは見えぬ世界」
「いるのに分からないのですね」
「しかし、自分では感じることも探ることもできん心の奥底がその人を動かしておる」
「善いことをしたり、悪いことをしたりとか」
「いや、物事を考えたり理解できるのは、その奥底の力なんじゃよ」
「で、それでどうなります」
「何が」
「いやいや、何がじゃないでしょ。そういうお話しを始めたのですから、何かためになることを」
「わしの話が理解できるのは、その奥底の力。だから、ここは大事だといっておる」
「でも特別な恩恵はないのですね」
「こうして会話できるのも、そのおかげじゃよ」
「じゃ、普通ですね。知っても知らなくても。知らなくても普通にやっていることですから」
「まあな。しかし人は仏にもなるし鬼にもなる。そういう奥底にあるものが出てきてな。これは出してはいかんのじゃ。奥底におる限り平穏。鬼も悪さはせん。仏もじっとしておる」
「仏心を出すと言いますねえ」
「そんなもの出し続ければ破産だろ。大損だ。生きていけんぞ」
「でもどうして出てくるのでしょうか」
「知らん」
「あっさりと」
「気が触れることがある。これは結界が切れたためじゃ。黄泉の口が開いてしまったようなもの」
「どうして開いたのですか」
「知らん」
「またあっさりと、そこが肝心でしょ」
「個々のことは知らん」
「はい」
「善いものが出て来れば、これは発作ではなく、天才じゃな」
「紙一重と言いますねえ」
「そうじゃ、だから心の奥底を弄ってはいけない」
「はい、栓が外れるかもしれませんからね。あまり弄っていると」
「そうじゃ。だからわが心を見詰めるというのは、非常に危険な行為と言わねばならぬ」
「はい」
「本当にそういうものがあるのですか」
「想像じゃ」
「はい」
「想像の限界はそこまで。そこから先は頭では探れん」
「その想像、当たってますか」
「想像など外れることが多いからな。その程度のことしか分からん」
「怖いですねえ、黄泉の口から怖いものが出て来るのは」
「夢の中に出てきたりする。外に出ようとしておるのだろう」
「心の奥底で何が起こっているのでしょうか」
「個々の奥底のことは分からんので、想像するのみ。しかし、わしらが知っておるものではなかろう。その概念とは違う仕掛けになっておるはず」
「御坊は覗かれたことはありますか」
「修行中、ちょいとな」
「教えてください」
「分別がなかった」
「はあ。それは」
「分かったのはその程度、人では無理じゃな。わしがわしである限りはな」
「はい」
「参考になったかな」
「なりませんでした」
「いつもじゃないか」
「あ、はい」
 
   了



 


2019年3月12日

小説 川崎サイト