小説 川崎サイト

 

嬉しヶ原の巫女


 嬉しヶ原は都から見れば北面。さほど離れていないが山をいくつか超えた里の外れにある。そこにも小さな集落はあるが、ある一家しか住んでいない。この原には領主がいる。都の貴族が持っている。
 たまに都から高貴な人が来る。ここにはシャーマンが住んでいるためだ。つまりシャーマンの居住地。これは巫女村と同じなのだが、多数の巫女が住暮らしているわけではない。都の貴族直属の巫女。しかし男もいる。シャーマン気質のある一族らしい。
 道義という貴族が、その日、久しぶりに訪れた。小さな村だが、そのときのための御殿がある。当然道義の先代が建てたもの。
 道義が頻繁に来るようになったのは、巫女が年頃になったため。この巫女が、今はここでの主で、何代目かの嬉しヶ原の巫女と呼ばれている。
 巫女の身分は非常に低い。遊女よりはましな程度だが、かなりの教養がある。身分の高い貴人と接するためだろう。接客業ではないが。
 ただ、この巫女、教養は無い。本を読まないため、誰でも知っている歌も知らない。ただ、文字の読み書きだけはできる。
 不特定多数の人相手のシャーマンではなく、この貴族だけなので、そこは適当なのだ。
 道義も巫女の力など当てにしていない。先代から続く家来のようなものだが、領地の作物のように、巫女の育ちを見に行く程度。
 競争相手がいないためか、もう名前だけの巫女の村になって久しい。ただ、この一族、そのタイプの血が流れているのか、勘が鋭い。そして瞳の色が少し青い。髪の毛は黒いが、鼻は高い。
 道義は都での人付き合いに飽きたとき、こうして嬉しヶ原まで遊びに来る。
「都の様子がおかしい」
「どうかされましたか」
「何かある」
「いくさでございますか」
「内裏」
「はあ」
「これは下手をすれば二つに割れる」
「そうなんですか」
「どうじゃ、どちらに付くべきか占って欲しい」
「え」
「巫女占いをせよ」
 しかしこの巫女、そんな力はない。
「お婆さまに言ってきます」
「あれはいい。大層なことをするわりには当たらん」
「はい」
「何でもいい。占え」
「巫女は占い師のようにその場でさっと占うようなことはできない。数日かかる。まずは、気を静め、その準備で一日はかかる。これは神が降りてくるので、その支度のようなもの。巫女が占うのではなく、巫女が超能力者なのではない。降りてきた神のお告げ。巫女の口から出る言葉だが、巫女の口を通した神の言葉なのだ。
「面倒じゃな」
「おそれいります」
「簡単に占え、いや、何でもいい。そちが適当に言え」
「何を」
「内裏が揉めているのは派閥争い。北と南、西と東、どちらでもいい。二つに分かれた。どちらに付けばいいと思う」
「どなた様とどなた様ですか」
「聞かなくてもよい。それなりのことを申せばいい」
「石清水」
 と、巫女は適当に答えた。
「石清水とな」
 道義は合点がいったようだが、これは独り合点。巫女は適当な言葉をいっただけ。
 道義の方針はこれで決まった。
 その後、道義の家は生き延びた。
 礼を言うため、道義は嬉しヶ原へ行ったのだが、あの何代目かの巫女はいないらしい。巫女の素質がないのを気にして、家出したそうだ。
 道義は人を使って探させた。
 
   了




 


2019年3月15日

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