小説 川崎サイト

 

特別な家


 昔あって今はない特別な何かというのがなくなっている。それはあるのだが、もう使えなかったり、機能しなくなっていたりする。
 あまり裕福ではない漆原の家だが、貧しいなりにも暮らしていた。貧困家庭というほどではないが、地味な暮らし、よくいえば庶民的な生活。
 長男がやっと卒業し、働きに出るようになったので、一家は少しは楽になった。あまり良い仕事ではないが、正社員。何とか生きていける。会社が潰れても、再就職すればいい。このあたり、本人の意志で何とでもなるが、給料の良い仕事に就けるかどうかは意志だけでは決まらない。
 そのため、漆原は新卒で入ったその会社で一生いるつもりだった。普通に暮らせればそれでよく、それ以上の望みはない。
 ところが、その会社、零細企業で下請け。親会社が危ないらしい。入社早々、先が暗い。
「君が漆原君かね」
「はい」
 暗雲垂れ込める中、漆原は社長に呼び出された。工場で始終顔は見ているが、直接話したのは面接のときぐらい。
「助けて欲しいんだ」
 漆原を採用したのは特別な理由はない。真面目そうだったため。
 学歴もなく、家も貧しい。こういう子なら、我慢強く勤めてくれると思ったからだろう。それに新卒で、手垢が付いていない。
「君は特別なものを持っている」
 話は、かなりややこしくなる。子会社であるこの会社を救うには親会社が立ち直ってもらわないといけない。下請けが、そんなとき、しゃしゃり出る幕ではないが、死活問題。そこで白羽の矢が立ったのが漆原。
 親会社が苦しいのはライバル会社に押されているため。色々なところに手を打ち、親会社から仕事を奪ってしまったのだ。かなりやり手がいるらしい。名前も分かっている。
「君は特別な人間だ。それを使って欲しい」
 漆原は何のことか分からない。そんな特別なものなど何一つ持っていないのだ。
 話は、この会社の人事課長から来ている。漆原の履歴書を見て、すぐに分かったようだ。その経歴ではない。学校を卒業しただけの経歴なので、それではない。名前だ。
「漆原家の血筋だと聞きましたよ」
「え」
「我が社がピンチなのは、親会社を苦しめている宮原という男です。やり手です。あなたの家臣筋でしょ」
「え」
「それを利用できませんか」
 そんな昔の血縁や主従関係が通じるとは思えないが、社長にとっては、これは藁。つまり藁にでもすがる思い。
 漆原家は公家の血を引く武将。朝廷との縁が深く、官位も高い。親会社を苦しめている宮原が、実はその家臣だった。
 工場で新卒で入った漆原は漆原本家の末裔。父親が死ねば、第何代目かの漆原家当主を継ぐことになる。しかし、そんなことは親は言わない。なので聞いたこともなかった。
 しかし人事課長は、よくそこまで調べてものだが、これは大衆読み物に出て来るらしい。それで漆原の家来に宮原がいたことを思いだした。
 そして宮原を調べると、出身地が漆原家の領地と同じ。
 社長の藁作戦を漆原は断れない。それで、宮原を呼び出すことにしたのだが、漆原本家は文化住宅。長屋なのだ。これは呼び出しにくい。
 それで漆原は宮原の邸宅を訪問した。
 宮原は布袋さんのように嵩高くでっぷりした男で、それだけでも迫力があった。
 漆原の御曹司が来たと聞いて、宮原は驚いた。当然、応接間の上座に漆原を招き、巨漢の宮原は蝦蟇のように頭を下げた。
 宮原はそういう臭いことをしたかったのだろう。
 主従の関係は当然、今はない。しかし宮原は礼を尽くした。
 ただ、漆原が目的とする、親会社への攻撃を止めてくれないかという要求に対しては、丁寧に断った。
 まもなく、漆原の会社は潰れた。親会社も潰れた。漆原は失業したが、まだ若いので、就職先を探した。
 その後、宮原からの誘われたが漆原は断った。普通に暮らしていける程度が望みなので、その気があれば、就職口は見付かるはず。
 漆原家。それは都落ちした公家が領地の豪族と手を結び、戦国期、一暴れした程度の家柄だ。偶然その豪族の中に宮原氏がおり、そのときから長く主従関係が続いたようだ。
 漆原の名が知られたのは、朝廷との関係があるためで、その仲立ちなどをしていたので、よく名が出て来る。
 
   了



 


2019年3月16日

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