小説 川崎サイト

 

想像するは我にあり


 妄想は現実化しないことを意識して思い浮かべることだが、そんなことではなく無頓着に、思い付くままの想像もある。しかし、すぐにそれは現実ではあり得ないことだと誰もが悟る。だからそれを妄想だと片付ける。
 現実そのものも想像の寄せ集めのようなものだが、それが的確に機能し、それで動いているのなら、これは現実だろう。本当の現実は別にあったとしても、日常の頭ではそれを見るのは無理。分からないのだから、分かりようがないので、無視していい。
 本当の現実はこれではないと思うのもまた想像。現実とかけ離れすぎていると、妄想。
 もうそういうことも思わなくなったあたりが落ち着きどころだろう。落ち着き場所とはその辺りにあるようだ。
「あることを想像しましてねえ。まあ、想像だけじゃなく、実際にできることなんですが、その実現が私にとって非現実に近い。私の現実から少し離れています。でも行ける距離です」
「はい」
「はい、それで手にしました」
「ほう、実行したのですね」
「そうです。すると、また想像が生まれました。手にしたためか、そこまで行けたので、その向こう側が見えたのです。想像が想像を呼んだのでしょうか。でも実際に手に入れたのですから、それはもう想像ではありません。しかし、新たな想像が増えたのです。これは考えてみればきりがないような気がしました」
「はい」
「そして本来ならもの凄く遠いところなのですが、近くなったので、そこへ行きました。これは段階を踏めば行けるような感じでしょうか」
「それで」
「するとまた、その向こうの景色が見えました」
「想像豊かなのですね」
「そして、またそこまで行ってみました」
「凄い行動力ですねえ」
「想像することで現実が開けていくのです。私の領域が広がるように」
「はい」
「そして、そこから遠くを見ると、非常にいいものがまだあったのです。しかし、よく見ていると、よく見慣れた風景なのです」
「ほう」
「そうなんです。そこは故郷、最初の出発点でした。だからその果ては戻るということだったのです」
「想像の彼方のさらに彼方にあったものが、それを見ていた最初の地点だったわけですね」
「そうなんです」
「それで、どうされました」
「当然、そこへ行きました。といっても振り出しに戻っただけですがね」
「青い鳥現象ですね」
「はい、仰る通り。しかし、そこが私にとっては一番リアルな世界だったのかもしれません。色々な想像をして、遠くまで行きましたが、何か浮き草のように頼りなげで、安定しません。それで、さらにその先へ先へと旅していたようなもの。そして故郷に戻ってきた。でも、出るときの故郷じゃなく、戻ってからの故郷は違っていましたねえ」
「何が」
「だから、同じ故郷なのですが、印象が」
「あ、そう。じゃ、もう旅には出ないと」
「いや、色々と想像し、それに向かうときのわくわく感がいいので、また行きますがね」
「はい、御勝手に」
 
   了



 


2019年3月17日

小説 川崎サイト