小説 川崎サイト

 

川魚の料亭


 小雨の降る中、下田は呼び出された。雨が降るかどうかはその日になってみないと分からない。しかし郊外の外れ、さらに外れたところにある料亭。見た感じ普通のしもた屋。しかし、周囲には何もない。既に山沿いの辺鄙なところで、大きな寺はあるが、そこからはかなり離れている。だが、交通の便は悪くはない。その大きな寺院が観光の寺なので、バスがある。そして人はそれなりに多いが、平日は静まりかえっている。市街地から離れすぎているためだろう。
 下田を呼び出したのは、親父。肉親ではない。
 この場所に呼び出すときは極秘の話が多い。まだ決定していないが、内定している。それを部下に伝えるため、呼び出されることが多い。下田は肝心なところでは呼び出されない。内々で決まってからだ。その内々にはまだ加えてもらえない。
 この料亭、密議もある。内々ではなく、外部の人間と会うため。
 下田は雨でいい感じの山門前でバスを降りる。古い街道が走っているが、その道沿いではなく、結構寺の近くまで入り込んでいる。乗り降りする人が多いためだろうか。だから寺まで歩く必要はない。
 下田は寺の前で降りたのだが、街道と寺を繋ぐ道にまた戻った。料亭は街道をもう少し行ったところにある。こういうところは車で来るもの。ただし、タクシーは使わないという約束がある。目立つからだ。
 下田はいつも同僚と一緒に来るので、その車に便乗している。しかし、今日は一人。だから傘を差しながら山間の道を歩かないといけない。幸い小雨なので、びしょ濡れになることはない。
 料亭の裏庭に駐車場があり、そこに外車が止まっている。横に四人ほど座れそうだ。親父が先に来ているのだろう。
 料亭の棟は一つではなく、川沿いや橋の向こう側にもある。川魚が名物らしい。それと素麺と豆腐と紅葉の天麩羅。
 一番奥待った橋を渡ったその先にある部屋に下田は通された。親父は決まってその部屋にいるので、いつものことだ。
 親父は一部屋を置いた奥の部屋のさらにもう一つある小部屋にいた。
 四畳半ほどの座敷で、茶室風。この料亭では一番奥の奥に当たる。
 親父は難しそうな顔で座椅子で正岡子規を読んでいた。
「あいにく時期が悪い。佃煮の鮎でも頼むか」
「はい」
 親父は手酌でモミジの天麩羅を囓っている。
「ここは初夏がいい。冬に来るものじゃない。底冷えする」
「はい」
「そうだ。湯豆腐を頼もう。食ったことがあるか」
「ああ、よく覚えていません」
「そうだったか。じゃ、頼もう。ここのは水が違う。たかが豆腐だが、水で味がころりと変わる」
「はい」
 下田は冷酒で湯豆腐と鮎の佃煮を食べた。
 親父は、目をぎょろつかせた。
「その付き出しはイカナゴだ」
「あ、はい」
「食べたか」
「いえ」
「もったいない。それも頂きなさい。瀬戸内のイカナゴ。その佃煮じゃ。川魚料理屋で海の魚は合わんがな。佃煮してしまえば、もう分からん」
 湯豆腐と佃煮。親父は何を伝えたいのだろうかと、下田は頭を捻った。
「どうだ。鮎の佃煮、いけるじゃろ。ここで作ったものらしい。女将に言ってあるので、帰りに持って帰れ、いい土産になる。買うと目玉が飛び出すからな」
「はい、有り難うございます」
「よし」
 話はそれだけだった。
 下田はビジネスバッグに佃煮の箱をねじ込んだ。雨だが防水性のある鞄なので、問題はない。それに傘を差せば凌げるほどの小降り。
 山門前まで戻り、屋根のあるバス待ち所で、その佃煮を開けた。包装紙はない。小さな紙袋で女将から受け取っている。
 下田は佃煮の紐留めの木の箱を開けた。
 薄い半透明の薄紙をのけると、大きな鮎の佃煮と、小さい目と、さらに小さいのがある。
 しかし、どこををどう探しても、鮎の佃煮と説明の紙以外のものは出てこなかった。
 何か特別なものが、中に入っていると思っていたのだが、違っていた。
 親父から鮎の佃煮を受け取れば、それは何かを意味しているのだろうか。それなりに認められた証しだろうか。
 その後、親父との関係は以前と変わらないままだった。
 佃煮には意味はなかったことを知り、下田は毎朝、その佃煮を添えてお茶漬けにした。これは鯛茶漬けよりも高いはず。
 しかし、飴炊きなので、甘さが少し気になった。
 
   了


 


2019年3月20日

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