小説 川崎サイト

 

深刻劇


 深田は一寸面倒なことになり、それで気が重い。それは一寸したことから始まり、そこから流れが変わったのか、因果関係の無い別のこともおかしくなり出し、さらにかなり厳しいことが突然起こり、これはかなり尾を引きそうで、妙なところにはまり込んでしまった。
 悪いときは悪いことが重なるもので、纏めて来るようだ。
 それらの用事でウロウロしているとき、行き交う人々を見ていると、みんな幸せそうな顔をしている。そう見えるだけなのかもしれないが、深田にかかっている負荷を、もしその人達も背負っていれば、そんな平和そうな顔で歩いていないだろう。だが、深刻な顔で硬い表情の人もいる。そういう人は逆に目に入らない。
 もし深田と同じように気が重いのなら、外には出てこないかもしれないが。
 人出が多いのは桜が咲き出したためだろう。並木や公園や、神社の境内などで咲き始めている。その日は陽射しもあり、穏やかで、もう寒くはない。それで、外に出ている人が多いのかもしれない。
 春先の良い時期、卒業式で旅立ったり、入学式で上の学校へ通い出す。また新入社員として社会に出ていく。春はスタートの時期。
 そんな時期、深田は厄介なことになっているので、春を楽しむどころではない。
 といって平穏な年でも、春など楽しんだのだろうかと考えると、それほど楽しんでいない。楽しいことだとは思わないので、花見などにも行かなかった。
 しかし、気の重さからか、それが軽くなれば、花見に行きたいと思う。厄介事が春の間に終わるのか、夏や秋まで、いや年内や来年まで尾を引くかもしれないと思うと、数年は厳しいかもしれない。
 その厄介事は解決はしないので、しばらくはその状態が続く。重荷だ。しかし、背負い方のコツがあるのかもしれない。そちらの練習でもするしかない。
 そんな日々の中で、一寸いいことがあった。微笑ましい出来事だが、これが結構効いた。凄い話ではないが、気が休まった。
 もしいつもの深田なら、何とも思わないほど小さな出来事として見過ごしていただろう。
 弱っているときは、その一寸したいいことが数倍よく見えるので不思議だ。
 それからも道行く人が誰もが普通に暮らしているように見えて、それが羨ましい。しかし実状は分からない。深田よりも厳しい状況の人がいるかもしれない。
 幸せそうな表情で呑気で歩いている人が、意外と深田よりも深刻な事情を背負っているかもしれないし、また厳しい表情で歩いている人は、実は平穏に暮らしている人かもしれない。
 その後、深田は慣れてきたのか、負荷に慣れたようで、もうそんなものだと日常化していきそうだった。
 暗い話をする人が意外と明るかったり、明るい話をする人が逆に暗い人だったりすることもある。振り切って逆転したのだろう。
 
   了

 



2019年3月29日

小説 川崎サイト