小説 川崎サイト

 

壺にはまる


 坪井か坪田かは思い出せない。それよりも何処に出てきた人物だろう。坪だけが残った。しかし、これは壺だ。壺として記憶にある。ということは文字で見たのではない。耳から入って来たのだろう。二日以内の話で、それまでは坪井も坪田の記憶はない。ただ、何十年か前、何かの会で坪と付く名前のメンバーがいた。むちっとした小男で、頭の鉢が大きい。そこで坪井ではなく、壺と記憶していたが、それから関わることがないので、坪井なる人物との接触ははないし、また思い出すこともない。
 二三日前だ。坪井か坪田が出て来るのは。しかも耳に入った名。目に入った名ではない。
 前田はそのことが気になったが、テレビやネット動画などで映像としては出て来ないが、坪井か坪田の名を言ったのだろうか。
 文字ではなく、耳から入って来た名前として覚えている。これは大きなヒント。しかも二日以内。
 メディアからの情報とは限らない。誰かが話しているのを聞いたのかもしれない。
 ではその坪井は何をしたのか。何に関係する人なのか、どういうところで出てきたのかが分かれば、すっきりする。しかし、それが思い出せない。
 その中に坪井がいた。とか、その中に坪井も含まれる、などのニュアンスで出てきたことは覚えている。中心人物ではなく、関連する程度の人物。
 耳に入って来ただけの名前だが、その他大勢の中の一人よりは、少しはキャラ性がある人物。重要人物ではなく、その脇にいるような。
 そして、それを聞いたとき、坪井という人物を覚えておこうなどとは思わなかったはず。一寸耳に入っただけ。
 最大に見積もっても、坪井という人もいた程度だろう。主人公ではないし、メインではない。
 しかし、肝心の状況が分からない。古い時代の人なのか、最近の人なのか。またどのジャンルに属する人物なのかが分からないのだから、何ともならない。
 思い出せるのは数十年前の坪井君の名前と顔程度、知っている坪井君。二三度話したことはあるが、縁遠い同級生レベル。しかもその会は三ヶ月ほどで終わったので、坪井というメンバーを覚えているだけでも大したものだ。
 それで、誰だか分からない坪井か坪田。これはやはり坪井が引っ張っている。本当は坪田かもしれない。しかし、坪田という人物と今まで接したことはない。坪内逍遙なら知っている。昔の作家だ。しかしその程度の印象。坪内という名の女優が昔いたことも何となく覚えている。それに比べ、坪田はまったく印象にない。
 だが坪井ならリアルで接したことがあるので坪井か坪田かどちらかで迷ったときは坪井が引っ張るだろう。吸収してしまう。その方が記憶に磁気があるためだ。
 それで、坪井が何をしたのか。これは思い出せないが、知っている頭の大きな坪井と同じように、こういう人もいた程度。またはいる程度。
 その影は薄い。前田にとり、そういうポジションにいる人物は、大勢いる。これは前田から見ての浅さや深さで、本人はまた別だろうが。
 しかし、坪井を思い出しているとき、これは一つの何かを指し示しているような気がした。色々あった中の一つ。色々いた人の中の一人。
 このあたりにポイントがあるのではないかと思い、今、思案中の案件を、その坪井風な方向で模索することにした。
 これは壺にはまるかもしれない。
 
 後日談がある。数日後、坪井の正体が分かった。その名の発生元は選挙カーだった。正しくはスピーカーからの発声音。
 
   了

 



2019年4月1日

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